他人(の目)を気にしないようにできない人
今年、最も返答に困った質問です。明確な回答は存在しません。尺度がたくさんあるからです。でもだからと言って、「回答がありません」では、せっかく質問してくれた人に失礼かとも思い、かなり頭をひねりました。その質問者は、普段から私の話を聞いている人なので、エラーチェックのことも知っています。だから、「エラーに気づいて正せる人」という答えは、意味をなしません。またインテリジェンスも理解していますので、それ以外の頭の良さに関心を持っていました。嘘をついて他人を誹謗中傷する人が、頭の良い人からはかけ離れていることは、解説をするまでもありません。
私個人が「頭が良い」と考えることは(これは私ができているいうわけではありません)、「悪循環に入らないこと」、「悪循環に入っても脱することができること」、「良い循環を自他にもたらすことができること」です。私が必修の授業を行う最大の目的はこの3種の獲得のためです。
そこで、私がこの人に伝えたのは、「何かを信じること」です。疑いの塊みたいな私には、これほど似合わない言葉はないかもしれません。しかし、このままだと誤解を招くので、正確には「揺るぎない事実を無条件で信じること」と言いました。これが宗教ならば信仰ということになろうかと思います。その意味では、一定の歴史のある宗教を勉強してみることは意味のあることです。例えば浄土真宗は、親鸞の教えに対する理論武装と誤解を正す歴史と言っても過言ではありません。しかし、その教えは、京都学派やそれを引き継ぐ人々をはじめとした数々の思想家や学者、哲学者を魅了し続ており、現在も尚、日本最大級の門徒数を誇ります。そこに一定の真理はあろうかと思います。「何かを信じること」は、最初は、自分に当てはまらないと思っても、一度、その思考の枠組みを受け入れてみて、先人がなぜ、このような思想に傾倒したのかに、一度身体で触れてみることは、大いに意味があることです。また、それを受け入れる度量も必要です。少し自分を変えてみる勇気も必要です。もちろん、知識や知性も必要です。これが教養となり、教養は文化であり、文化とは適応であり、適応はすなわち生存スキルに直結します。このような連鎖を起こせること。これをもって「頭が良い」ということだと考えています。
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