コムニタスの名前の由来
当塾の必修の授業でREBTを取り入れていることはよく言っているのですが、その効果の一つとしてあげられるのが、思考が、「どうしよう」から「どうする」に変えられることです。言い回しが重要なのではなくて、大切なことは「不安を根拠にしないこと」です。「不安だから」ということを行動規範にすると、「○○になったら(おこったら、出会ったら・・・)どうしよう」となってしまいます。せっかく単語を勉強しても、不安に負けると、「この単語が出なかったらどうしよう」となってしまいます。問題は、「どうしよう」思考の人はそれ以上何もしようなくなってしまうことです。おそらく思考停止と呼ばれる現象の多くは、この状態ではないかと思います。そうなるとフリーズしてしまい、どうすることもできなくなってしまいます。不安を処理しておくと、どうしようが「どうする」に変わります。
大切なことはどうするかであって、我々は日々この判断に迫られています。リーダーが不安に負けてしまうと、組織が機能しなくなるのはこのような理由と言えます。もっとやっかいなのは、「漠然とした不安」に負けることです。これは「何かあったらどうしよう」を呼び起こしてしまいます。たとえば、水の買い占めなどは、これに属します。これは「転ばぬ先の杖」ではなく、単なる煩悩で、それによって迷惑する人のことに思いがめぐらなくなり、利己的になってしまいます。リーダーがこのような人物だったら、その組織は悲劇に向かってまっしぐらでしょう。「どうしよう」を克服して「どうする」思考ができるようになって初めて「問題解決」ができるようになります。研究をするにしても同様です。問題解決能力があって初めてリスクと向き合えますし、リスクをとるか、回避するかも判断ができるのです。その能力がない人間がお役所仕事をすると、「組織にとって良いこと」をしようとせずに「自分にとって責任のかからないこと」を優先してしまうのです。だから、すぐに「できない」と言います。事実は「やりたくない」「やる意思がない」なのですが、面倒がほんのわずかでも見えると、すぐに「できない」を連呼する癖がついてしまいます。
「どうしよう」ではなくて「どうする」という言葉は、当塾を出た人には結構浸透しているようです。私はREBTを学ぶ以前から、「不安」という感情を何とかして排除できないものかと考えていましたが(まず無理ですが)、最近は「処理する」方向に考えをシフトしています。不安自体をなくすことは困難ですので、不安になってから、その後の考え方を変えるということです。つい私たちは「どうしよう」と考えがちですが、頭の中に使える情報が増えてくると、徐々に「どうしよう」から脱却できるようになってきます。それなら、どうしようが浮かんだ時から、ちょっと間を置いて思い直して「どうする?」と自分に問いかけることによって打ち手を考えるようになります。要するに「どうする」とは、打ち手を出すことです。もちろん、自分に与えられた状況によっては、どんな手を打ってもどうにもならないことも多々あります。しかし、だからと言って、何もせずに手をこまねくのも違います。
不安を処理すると、「現実にそった妥当な判断」が見えて来ます。「とりあえず大きめ」という判断を回避することができます。それには今の自分の能力を正確に知って、受容しておかねばならないのですが、一人ひとりが意識して、不安を処理できれば、様々な問題の解決につながるはずです。公認心理師もできることですし、そろそろ国家的問題として、不安処理に着手してもいいのではないかと思います。そうすると、役人や政治家やメディアが率先して不安を煽るのもなくなってくると思います。
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