成功に学ばず失敗に学ぶ

井上博文

井上博文

テーマ:思考方法

よく言われることですが、学びは失敗から得られることが多いものです。ビスマルクの言葉だったと思いますが、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言があります。歴史は失敗の集成ですから、ここから学ぶことは大きいと言えます。後から振り返って成功と言える歴史などほとんどありません。歴史の教科書を見れば、一目瞭然ですが、戦争戦争戦争です。戦争を成功体験として学んだ人が、その国家のトップに立ったら何が起こるかは容易に想像できます。
企業の経営、受験勉強などなど、様々なことで、私たちは学びが必要ですが、たいていの場合、完璧主義の人は、自他の成功体験を繰り返そうとします。そして、うまくいかず、自分を責めます。ひどい場合、「あの人でもできることを私はできない」などと言ってしまう人もいます。また完璧主義にこだわると、失敗を必要以上に恐れてしまいます。そうなると学びの機会も減ってしまい、悪循環です。
成功体験は、とらえ方次第かもしれませんが、「成功」と考えるのは、その時だけにしておき、あとは、反省材料として、記憶するのが妥当です。もちろん、だからと言って、「私は成功体験がゼロで、失敗ばかりしている」と考えるように言っているわけではありません。成功体験の中には、かなりの割合で偶然的要素を見いだすことが可能です。よく「成功した人」は自分を評して、「たまたま」「運が良かった」と言います。こういった人は、成功体験から学ぶのではなく、またすがるのでもなく、成功体験でさえ反省材料にしている人と言えます。受験でも、ダイエットでも同じことかもしれませんが、他人の過去の成功体験ほど、自分に適合する可能性が低いものはないと考えるのが妥当です。そのように考えることで、「自分にフィットするものは何か」「自分にできることは何か」を真剣に考えるようになり、他人の意見、自分の成功体験を参考資料として使うことができるようになるはずです。そうすることで、成功であっても失敗であっても学べる材料が増えます。
しかし、そうは言っても、「失敗から学べることなんて何もない」と言われることもあります。そのような人の傾向として多いのは、「失敗を受容することができていない」ということです。自分のした失敗を認められないと、例えば、裁判に負けた時、すべては裁判官が悪いと言い始めるような事態になりかねません。こういった人は、裁判官が差別をしているなどと、荒唐無稽なことを言ったりします。これはとても残念なケースです。まずは失敗を正確に認めることです。その上で、原因を追及します。この時、繰り返しですが、人(自分も含む)のせいだけにしないことです。私はスタッフに注意する時、個人名を挙げることはしません。もちろん、連帯責任主義ではないのですが、失敗は、塾全体のものであって、それを共有することで、学べることは、各人によって異なります。それを考える機会として欲しいと考えてのことです。また、あまり個人をやり玉に挙げすぎると、萎縮してしまい、失敗を恐れすぎてしまいます。そうすると、結局学びの機会が減ってしまいます。
「失敗は成功のもと」主義ではないのですが、「成功は反省材料とし、失敗は学びの機会とする」。以上が結論です。


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専門家

井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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