想定外が起こった時にわかる強さ
ノートをとったり、作ったりすることは、勉強をする中で重要なことです。しかし、私たちが小学校以来習ってきた、黒板を写すことを「ノートをとる」と理解していると、「何をしたらいいかわからない」という状況に追い込まれやすくなります。ノートの作り方は、あまりにもたくさんあります。「東大生(合格者)のノート」絡みで検索すると、たくさんの本が出てきます。しかし、私が知る限り、東大生、京大生で特にノートの作り方に傾向を見いだすことは不可能だと思います。確かに本にあるように、きれいにノート整理できている人もいます。「ああ、これが京大に入る人のノートなのか」と思ったこともあります。しかし、一方で、東大に行った学生の中で、「生まれてこの方、ノートなんてちゃんと書いたことありません」と言い切った強者もいます。彼曰く、「書かなくても頭に入る」のだそうです。どちらが正しいかはもちろん言えませんし、その後の人生も、それほど大きな差があるとは思えません。
つまり、ノートの取り方は、「ベターはあるけれどベストはない」(何でもそうでしょうが)というカテゴリーだと思います。ビジネス書でも「できる社員のメモ帳」「●●社長のメモ帳の作り方こっそり教えます」のような本は売れるそうです。私見としては、ノートの取り方というよりは、勉強を始めた頃のノートよりも、後のノートの方が、成長していると実感できるように作ることが重要だと考えています。要するに、何をどこに書いたか覚えているようになると、ノートも成長しているでしょうが、書いた本人も併せて成長していることになるはずです。また、何でも同じですが、積み上げが大事です。大学の先生の自宅に行くと、たいていの先生は、若いころのノートが本棚一つ分くらいあります(私はそんなにありません・・・)。まぁ、だいたい見ようとしたら、「それだけは見るな!」と叱られますので、厳密に「●●教授の勉強法」に触れたことは、ほとんどありません。私だって見せたくありません。若かりしころのノートなど、思春期の叫びに匹敵するのではないかと思える内容と思っています。ただ、有名な教授の学生時代のノートを本にしたら、売れるだろうなぁと思っています。
だとすると、勉強を始めるときに「とりあえずノートを作る」というのは不適切です。ただ、何も作らないわけにもいきませんから、まずは誰でもがやるであろうノート作りをリサーチします。例えば、英語以外の語学であれば、やはり最初は手書きで本文を写して、幅広く行間をとって、そこにメモをたくさんとれるようにしておく、というやり方はほぼ普遍的ではないかと思います。私の場合(あまり言いたくはありませんが)、現時点で、ipadのような電子機器も含めて、6種のノートが稼働しています。ipad以外では、授業ノート、カウンセリングノート、予約ノート(これだけはやるまいと思っていましたが、最近増えました)、仏教学ノート(このカテゴリーであと数冊あります)、あと(言いたくありませんが)アイディア集で、雑多なメモです。内容は言えません・・
複数持つことが良いことかどうかは一概には言えません。いろいろしているうちに、勝手に増えてくればそれでいいと思います。ただ、自分に合った方法を探すのは本当に難しいですし、だからといって、他人の言に沿いすぎても、何か違います。大人の勉強の場合、自分のノートをしっかり作ることと成長は比例すると言えるのです。
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