何を見つけたのかではなく、何を見出すか

井上博文

井上博文

テーマ:勉強方法

思わずゾクゾクする考古学フォトギャラリーという記事にあった言葉を表題にさせていただきました。これは私が師匠からいつも言われていたことでもあります。私が「こんな記述ありました~」と屈託なく持って行くと、「だからそれが物語ることは何なのかを言え」といつも言われていました。でも、それがなかなかできず、かなり苦労した覚えがあります。
「資料に物語らせる」このコラムでも何度も言ってきたことではありますが、学問をしていく中での基本中の基本だと私は考えています。嘘をついて他人を誹謗中傷する博士を名乗る人と、研究者の違いはここにあると言っても過言ではありません。前者は、「資料を自分の都合の良いようにしか読ま(め)ない」「自分の足で資料を探さない」「都合の良い資料をパッチワークをして、自分の都合の良い論を組み立てることを研究だと勘違いしている」こういった特徴があります。これが研究者として最もダメなパターンです。もちろん、当塾で学ぶ方には、こうはならないように指導しているつもりです。
今回お伝えしたいことは、ダメな研究者のことではなく、最初の「ゾクゾクする」の部分です。研究の世界に入り込むと、「やめられない」と思う瞬間があります。私もそれを体感してしまいました。「全身に鳥肌がたつ」「心臓がドキドキする」こんな経験をしてしまいました。仏教の資料を見ていて、そんな感動をするなどとは、この分野に入るまで考えたことがなかったのです。よく考えたら、そういった感動がありそうだから、●●の分野に進むというのが適切なのかもしれませんが、別に順序はどうでもいいのだと思います。まずは出会いと感動と、その後に来る「衝撃」「ドキドキ感」がまず大切なのだと思います。これは人生を変えるというのか、左右するというのか、方向付けるというのか、人によって言い方は異なると思いますが、人生に影響することは確かだと思います。
ただし、単に感動してドキドキするだけなら、それはそれで素晴らしいことではありますが、やろうと思えば誰でもできます。素人とプロの違いはその先にあります。プロは、何かを見つけて感動するだけではなく、その見つけたものが何を語っているのかを見いだすことが仕事です。この技術が価値を生み、さらなる生産を生む土台になり、その上にさらなる発見と情報が乗って、巨大な堆積になっていくのが学問です。引用記事にある中でも「アイスマン」に私はかなり惹かれています。別にミイラ好きなのではありませんが(楼蘭のミイラにも興味があるので、もしかすると・・ですが)、このアイスマンが物語ることに多いに興味があります。研究者は、言い方は悪いですが、5000年以上前の遺体によってたかって切り刻んで、やりたい放題しているわけで、冷静に見たら倫理的に問題がありそうなのですが、研究者の性と言いますか、貴重な資料と思えるものが出てくると、調べずにおれないのです。その気持ちはあまりにもよくわかります。時にそれが倫理的なものを超えてしまうことに注意は必要だとは思うのですが、人類がまだ知らない新たな情報がある可能性をもつものに出会うと、それを解明する方向に自然と動くのが研究者なのです。
アイスマンについては、ヨーロッパ人のルーツ解明の一つの根拠になる可能性まで期待されていますが、当時の食事、衣服、病気、遺伝子配列、言語などなど、様々な観点から調査がされています。まさに丸裸状態にされるわけですが、その気になれば、一人のミイラから、実にたくさんの情報が得られるのです。大学院を目指す方は、是非このドキドキを起点としたその先の世界を見ようとする意識を高めておいていただきたいと思っています。



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井上博文
専門家

井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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