恐怖と度胸
REBTを勉強していると、健康観というものがあり、13あります。その中の一つに自己受容があり、特にエリスは無条件の自己受容を説きました。しかし、言葉にするのは容易ですが、これを実践するのはなかなか難しいことです。しかし、大人になると、これは非常に重要です。自分で自分のことを無条件で受容できなければ、様々な局面で苦労すると思います。
また,無条件受容してくれる他人がいたとすると、とても貴重な人ですが、無条件の自己受容ができないと、自分を受容してくれる他人のことも信用できないということも起こってしまいます。
一般論として、母親は自分の子どもを無条件で受容します。「笑顔を見せてくれたら」とか「私のために何かしてくれたら」「心を癒やしてくれたら」世話をしてあげる・・とはならないでしょう。では自分のことを同様に無条件で受容できるかと言われると、そうでもないと言う人の方が多いのではないかと思っています。逆に無条件で自分を受け入れられない人の方が目に付くくらいです。その意味で私はここ数年、この無条件の自己受容ができる方法を模索してきましたが、あまり良い結論には至っていません。
自己を肯定するところから始めるのか、自己を否定しないところから始めるのか、このスタート地点さえ(人によって異なるでしょうが)定まっていません。REBTでも無条件の自己受容を推奨しますが、残念ながら、これを前提としており、受容方法については課題が残ると思います。
今年、動機付けで研究計画を書こうとしている人がいますが、この問題について、一緒に考えている時も、この無条件受容が頭をよぎっていました。例えばテストの時に、「良い点数を取れば、○○をあげる」といった強化子を設定することはよくあると思うのですが、これは条件付きです。最近紹介した学力の経済学では強化子について肯定的です。成績を上げるには強化子は必要なのかもしれません。しかし、健康かと言われると疑問があります。
「○○すればあなたには価値がある」「○○できなければあなたには価値がない」ということにつながってしまうと、相手は追い込まれてしまい、場合によっては不健康な感情を持つに至ってしまうでしょう。しかし、これは無条件受容について一定の事実を示せば、考えを転じることができそうです。
「○○しなくても、あなたには価値がある」「○○できなくても、あなたには他にたくさん魅力がある」「○○でなくても十分あなたを受け入れられる」こういったことを示すだけでかなりポジティブな方向に向かう可能性が高まります。
しかし、無条件の自己非受容とでも言うのでしょうか。どんな格好からでも、アクロバティックに自分を受容しない方向に持って行く人も少なからずいます。この部分が無条件だと、非常に厄介で、他人の説得をまず聞きません。だからと言って、自分で気づくかというと、そんなことができるくらいなら、最初から受容している、といった様なことを言います。なにせ自分を否定するのに条件をつけないわけですから、初手から打ち手が少ない状態です。こういった人は、案外自分の状態も理解はしているもので、例えば私がエリスの13健康観を示しても理解はするのですが、「でも私には・・・」とか「わかるけどわからない」とか「なんかね・・・」といった不合理な形で転じてしまいます。これは私が今持っている課題なのですが、今のところ、すばらしい一手が見いだせていません。
しかし、それでもまずは、無条件の自己受容を頭と身体に刻んでいくことの方が重要であることは間違いありません。自分を受容するのに条件などそもそも必要ないのです。
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