暴力に教養で応える
英語で「ペンは剣より強し」という言葉があります。
高校の時にそのまま覚えるように習った人も多いのではないかと思います。
私もいつかは忘れましたが、何度か書いて覚えた記憶があります。
mightierはmightyの比較級で、助動詞mayの過去形mightではありません。
(意外にそう思っている人は多いのです)
それはどうでもいいのですが、ペンは剣より強いかどうかは、
今重要な課題です。とりわけ、最近はインターネットを介せば、
ペンとは言えない言葉の暴力も多く、ペンなんだか剣なんだかわからないような
現象も多々見られます。
私たち、研究を生業にして生きる者は、もちろんペンの力を信じる者です。
安易に剣に持ちかえることはありません。しかし、ペンの方が強いかどうかは
疑問がありますし、ペンの方が強くあるべきかどうかもよくわかりません。
正確には、あまり真剣にペン対剣について考えたことがなかったかもしれません。
どちらかというと、「暴力に屈さないペン」となんとなく考えていましたが、
今の時代のペン対剣の場合、強くない方が良いペンもあるのではないかと
思われます。そんなこんなを考えて、書きながら、検索してみると、
村上春樹氏の見解を見つけました。
ちょっと長文になりますが、感動しましたので、失礼ながら、引用させていただきます。
僕は普段は、基本的にむしろ「ペンがあまり強くなりすぎないように」
ということを意識して文章を書いています。僕の書く文章ができるだけ
人を傷つけることがないようにと思って、言葉を選ぶようにしています。
でもそれはとてもむずかしいことで、何を書いてもそれによって傷ついたり、
腹を立てたりする人が、多かれ少なかれ出てきます。
これはある程度しょうがないんです。
でも、それにもかかわらず、できる限り、人を傷つけない文章を書くことを
心がけなくてはならない。これは文章を書く人間にとっての大事なモラルなのです。
是非、この文章を読ませて、言って聞かせてやりたい輩がいますが、
このように考えて文章を書いている人は、それほど多くないのではないかと思います。
やはり私たちが進むべき道はこういった道なんだろうと思います。
でもそれと同時にいざ闘うべきだと思ったときには、
闘えるだけの胆力(ぐっと腹に入れる力のことです)を蓄えておかなくてはなりません。
でもそれは本当にいざというときのためのものです。みだりにペンを剣より強くしちゃうのは
危険なことです。と僕は個人的に考えています。ほかの考え方をする人もいるでしょうが。
ペンと剣を対等にしろと主張するわけではなく、ペンで戦える胆力を持ちつつも、
みだりにペンを剣より強くしないように心がけるという、深い深い見識です。
いつかこんな文章が書けるペンを持ちたいものです。思いやりと力と胆力を持ったペンです。
******************************
公式ホームページはこちら
大学院・大学編入受験専門塾 京都コムニタス
ご質問・お問い合わせはこちら
京都コムニタス公式ブログ
京都コムニタス看護学校進学部
自分磨きのための仏教
龍谷ミュージアム