他人(の目)を気にしないようにできない人
前回の続きになりますが、内容は変わります。
この記事に私は共感しています。
ちょっと塾業界を軽く見ている感じが好ましくありませんが。
それ以外は、これからの社会で生きていくための方法を示唆してくれていると言えます。
研究者の世界に限らず、もはやこの世に「安泰」と呼べるポジションはそうはないと思われます。
そもそも終身雇用など崩壊して久しいですし、非正規雇用者を増やしすぎたことによる慢性的
人材不足に拍車がかかっています。企業に人生を捧げて、忠誠を尽くそうという人が
いなくなってきたということです。そりゃそうです。大切にしてくれないとわかっているところに誰も
自分の人生など捧げないでしょう。しかし、その分より世知辛くなり、企業と個人の関係は
よりドライになっています。
私は塾業界で長く生きてきました。何とか生きていますので、結果的に適応してきたということに
なると思います。この業界は、20年前から、非正規雇用者で成立していました。
だから、私もいろいろな予備校や塾を経験してきました。この業界は、腕一本の職人世界です。
ダメなら一日で切られることも全く珍しいことではありません。人権とか労働者の権利なんてのは
寝言です。その分、自由もきくので、自分のやりたいこともできます。研究もできます。
より良い条件での引き抜きがあれば、ホイホイ行くこともできます。この軽やかさが好きな面も
ありました。
つまり、私が自己分析したところの適者性は、腕一本で、保障不要、その分拘束も不要
それなりの(割の良い)収入、移動の自由、研究の自由の確保。他にもありますが
こういった能力とは別の部分を獲得したり、守ったりすることが、適者になることだと
考えていました。
いわゆる高学歴ワーキングプアに私が共感できないのは、適者生存の観点の欠落を
感じるからです。大学教授になりたいということと、研究者になりたいということは
イコールではありません。大学教授になろうと思っても、今のご時世そう簡単になれる
ものではありません。弁護士、医師は資格名ですが、大学教授は職業名です。
博士は資格名ですから、それを活かして開業することは可能です。
どうもそのあたりの勘違いがあるのではないかと想像してしまいます。
博士という免許証を取って、それを元手に適者になるにはどうすれば良いかは
博士を取る前から考えておかねばなりません。もちろん、車の免許証も
「挑戦」として取る人もいますので、目標はそれぞれの考え方に帰属しますが、
生存手段として考えるならば、やはり、博士取得までのプロセスと、取得後の
ことはあらかじめ考えておく必要があるでしょう。
教育産業で生きていくには、基本的に腕一本の職人世界ですから、
その世界で生きていくと決めた日から、適者生存を考えておかねばなりません。
プロ野球の選手でも、甲子園優勝投手が、プロに入ってすぐに野手に転向する例は
むしろ多いくらいです。高校ではホームランバッターだった選手が、いつの間にか
俊足好守の選手になっていることもよくあることです。器用に何でもこなせるか、
不器用だけれど、一つのことだけ優れているか、いずれが生き残るかは、結果論ですので、
なんとも言えません。でもそのスリルも、こういったプロの世界の醍醐味であるはずです。
生き残る人間を見て、「あいつは運がよかった」「俺の方が実力があるのに」
などと言っている人は、もはや適者生存から漏れてしまった人でしょう。
他人のことをとやかく言う前に、自分の適者としての適性を見抜き、合っているか
間違っているかはわからないけれど、とりあえず、自分の見込んだ才能に賭けてみる
ところから始めて、生命補助装置も作っておく。いろいろな意見はあると思いますが、
これが私なりの適者生存なのではないのかなと思っています。
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