屁理屈は論文では書いてはいけません

井上博文

井上博文

テーマ:小論文対策

私は自他共に認める屁理屈の達人です。
多分、世界大会があればメダル圏内ではないかという
確固たる自信を持っています。しかし、普段は
この能力は、能ある鷹の爪のごとく隠れているはずです。
そのため私は、私なりの屁理屈観を持っています。

昔、院生のころ、駒澤大学の元学長の講演があり、
屁理屈に関して、こういうことを仰いました。

「屁理屈とは、間違っていること、わからないことを、
話の筋道に意図的に差し込んで、あたかも筋が通っている
ように見せかけること」
との事。思わず私はニヤリでしたが、周囲を見てみると
数名の先輩やら先生もニヤリでした。私と同じような
人は結構いるもんだとまたニヤリでした。

この屁理屈の定義は、かなり年月のたった今でも
はっきりと覚えています。しかし、屁理屈は公共の場では
使うことは不適切です。ましてや論文でそういったことを
差し込んでも、必ずばれますし、ひどい場合は軽蔑の対象と
なります。ですから、屁理屈を使うクセのある人は、
小論文の練習をする時には、むしろそれを使わないようにする
練習が必要です。誰も批判してくれないと、頭が固着化して
自分でも屁理屈を使っているかどうかがわからなくなって
しまうと末期症状ですし、知性の発展は望めなくなってしまいます。

一つ例を出してみましょう。あまり名指し批判は好ましくは
ありませんが、公式に書かれたもののようですし、原発問題に
屁理屈を差し込んで自説を展開するなどもってのほかという
私個人の見解もありますので、批判的に述べさせてもらいます。
ただ、この稿は「屁理屈」について述べているものであって
原発問題の是非については一切触れません。そうは言っても、
福島で苦しんでいる人々のことを思えば、屁理屈ごときで
原発を正当化する神経は理解できないという個人的見解は
明確にしておきます。


「核のゴミ」って何?という池田信夫氏の記事です。
小泉元首相が「原発をすぐゼロにしろ」という発言をしていることは
日々報道されていますので、ほぼ周知されていますが、
しかし池田氏によれば
「小学生みたいなまちがいだらけで困ったものです」との事。
元首相に対して小学生みたいな間違いと言うからには
それなりの根拠が必要だと思います。
しかし、「小学生みたいな間違いの定義」などとつまらないことは
ここでは言いません。もっと根本的問題があちらこちらに
ありますので、そこを捉えます。

「彼の日本記者クラブの講演を聞くと、半分近くが
「核のゴミを捨てる場所がないから、原発をゼロにすべきだ」という話です。
核のゴミというのは正確にいうと、原発で燃やした使用ずみ核燃料のウランや
プルトニウムです。これは再利用する方法もあるので、本当はゴミではありません」

この部分における屁理屈とは、池田氏自身もウランやプルトニウムが
再利用する方法を知らないし、できないのにも関わらず、
「本当はゴミではない」と理屈らしきものを貼り付けて、これを
元首相を批判する材料のスタートラインにするのですが、
これを下地に批判するのは、あまりにも拙いでしょう。
元首相の核のゴミ発言をこれだけの理由で覆そうとするのですが
理屈が崩れているのは池田氏の方です。そして池田氏はわかっていながら
それを押し通すわけです。「わかっていながら」と言えるのは、
この下にさらに理屈らしきものを貼り付けるからです。

「日本は核燃料サイクルで使用ずみ核燃料を再処理して、
また使うことにしています。次の図は小学生にはむずかしいと思いますが、
要するに燃やした核燃料から再処理工場で核燃料(プルトニウム)を
取り出して、それを高速増殖炉の核燃料として使うのです。
石炭を燃やしたら燃えがらになってしまいますが、
その燃えがらを元の石炭に変えられるという夢みたいな話です」

ご丁寧に図までつけて、何を説明しているのかと言うと、
「夢みたいな話」であって実現ができていないことを
可能性がある言っているにすぎません。宇宙人の存在と理屈は同じです。
「もんじゅ」が機能していないことなど誰でも知っている話です。
つまりここまでの段階で、池田氏は小泉元首相の「核のゴミ発言」を
否定できていません。池田氏ももんじゅが機能していないことを
認めています。
そこでさらに屁理屈を差し込みます。

「ほぼ無限にある海水ウランの値段も下がってきたので、
こんな大がかりな工場で再利用する必要がないのです」

なんでこんな一節が必要なのかもわかりませんが、
「ほぼ無限にある」なんてなぜ言い切れるのでしょうか?
地球にそんなものはないと思います。「人間が使い切れないくらいの量」
ならまだわかりますが、「ほぼ無限」という言い方にも意図があると
思わざるを得ません。しかしここまでの段階で、結局再利用はできない
と言っているにすぎません。つまり現段階で結局は
「捨てなければならないゴミ」なのです。
したがって小泉元首相には小学生みたいな間違いはありません。

「そこで再処理をやめて、使用ずみ核燃料をそのままゴミとして
捨ててしまおうという話が出てきました。これを直接処分といいます。
小泉さんが視察に行ったフィンランドの最終処分施設は、
実際に使用ずみ核燃料を地下に埋めています。
別に安全性には問題なく、なぜ小泉さんが「これはだめだ」と思ったのか、
よくわかりません」

この一節の屁理屈は「別に安全性に問題はなく」です。
よく放射性物質に関して、「科学的態度」である必要性が言われます。
その点に関しては私も全く同意します。しかし、現時点における
「科学的」な結論は「わからない」の一点張りであって、科学が
何か結論を下したことはありません。池田氏は何を根拠に安全性に
問題がないと言い切れるのでしょうか?小泉元首相だけではなく、
また変な政治家だけでもなく、かなり多くの人が原発に疑問を
もっているのは、非科学的なのではありません。絶対安全と
言われた原発が地震と津波で壊れ、安全でないだけではなく、
一つの地域を壊滅に追いやったことと、解決の糸口さえ見えない
ことに多大な反省をしたからです。非科学的なのは明らかに
池田氏の方です。確たる科学的根拠も示さず、
フィンランドの最終処分施設を安全だと言い切り、それを前提に
誰かを批判する態度は非科学的と言わざるを得ません。
また小泉元首相が「これはだめだ」と思ったとするなら
なぜそう考えたかこそが大事なのであって、その部分だけ
都合良く「よくわかりません」とするわけですが、
わからないはずはないでしょう。ここにも屁理屈があるのです。

私たちは今選択を迫られているのです。今の科学では放射能問題は
解決できないのが事実です。だから、原子力を使い続けて、そのゴミを
穴を掘ってでき得る精一杯で放射能を漏れないようにふたをするか、
あるいは他の方法を考えるか、です。いずれにしても未来を感じることが
できないところが問題なのです。そこに想像力が働かない人が科学の万能を
無批判に屁理屈で論じるなどちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ません。

現代科学で放射能問題を解決できるならとっくに住民が福島に
帰還できているでしょう。故郷に帰還できずに苦しんでいる人々、
他府県で慣れない生活を強いられつつも、新たな生活を築き、
帰還を諦めた人々など、科学の力とやらで、その人たちの願いを
聞き届けることが先ではないのでしょうか。

「一番おかしいのは、原発ゼロにしてもゴミはなくならないということです。
これは小学生でもわかりますね。「ゴミの捨て場所がない」という話が本当だ
としても、それは原発ゼロにする理由にはなりません。すでに日本には
1万7000トンの核のゴミがあるので、それを捨てる場所は決めないといけません」

これが池田氏の一番主張したかった部分のようです。「小学生」というのは
この部分だけに適用されるようです。
しかし、「原発ゼロにしてもゴミはなくならない」ことを小泉元首相が
知らないということを証明しなければ、「小学生みたいなまちがいだらけ」には
ならないでしょう。そんなことくらい元首相はご存知なのではないでしょうか?

ここで最大級の犯罪的行為があります。よく考えてみれば
小泉元首相は
「原発をゼロにすればゴミはなくなる」
と発言はしていないということです。それをあたかも小泉元首相が
言ったかのように読み手に印象を与える書き方を池田氏はしています。
もちろん、池田氏も決して小泉元首相が
「原発をゼロにすればゴミはなくなる」と発言したとは言っていません。

「核のゴミを捨てる場所を決めないといけない」ことだって同様でしょう。
最大の問題は、フィンランドのような施設を作ることを誰が容認するのか?
という問題です。小泉元首相が「これはだめだ」と思ったのは当然この
部分と考えるのが普通でしょう。フィンランドと同じかそれ以上の施設を
日本で作ることができるのでしょうか?

「そんなに簡単に言い切るなら、池田氏及び原発推進派の
自宅に穴を掘って施設にすればよろしい」
と、子どものけんかみたいな話になることくらい、小学生でもわかることでしょう。
池田氏はそんな話の展開になることも読めないのでしょうか?
この施設を作らねばならないことは、誰の目にも明らかであっても
今の日本の社会情勢でこれを受け入れたいところなど存在しないことが事実なのです。
池田氏といえどもそんなことくらいわかっているでしょう。わかっていながら
あえて、無視して、自分の主張をするのです。これを屁理屈と言わずして
何を屁理屈というと言いたいくらいです。

「しかし運転を止めても、ゴミはなくなりません。
プールに置いてある状態は危ないので、埋めたほうがいいのです。
逆に原発を動かすとゴミは増えますが、広い最終処分場をみつければ、
動かしても止めても同じことです。
小泉さんは「政治が決断すれば原発ゼロにできる」といいましたが、
それなら政治が決断すればゴミ捨て場ぐらい決まるでしょう
(実は内々に決まっています)」

これも屁理屈がちりばめられています。
「埋めた方がいい」のではなく
他に方法がないだけです。これもわかってて言い方を変えているのでしょう。
「広い最終処分場を見つければ、動かしても止めても同じこと」
同じではないことくらいわかりますよね。これもわかっていながら
無視するのでしょう。処分場を仮に決めたとしても規模として
今のゴミを処理するのが限界の大きさしか難しいと考えるのが妥当ですし、
「広い」と漠然と言うところにも屁理屈を差し込もうという悪意を
感じます。狭い処分場を作るだけでも多大な苦労があるはずなのに
広い処分場などよほどのことがない限りできないでしょう。
仮に文科省と経産省の建物と池田氏の自宅に一トンずつ廃棄する
施設を作ると発表してみれば、どんなことが起こるか想像はつくと
思います。ましてや1万7000トンで、しかも原発を使い続ければ
これからも増えるのです。

「いま候補地になっている場所は山の中で、万が一
地震でゴミの入れ物が割れても、海にもれることはありません」

場所も施設の内容も明示せずに、こんな言い切り方って
あり得るのでしょうか?これが科学的態度というなら
もはや学問など成立しないでしょうし、ましてやこんな強弁で
誰かを批判するなどあってはならないことです。

別に池田氏に反省など求めませんが、私たちはもっと冷静に
科学的根拠を積み上げて、わからないことはわからないということは
正直に言うことも必要です。あまりに愚かな屁理屈を使うクセが
できてしまうと、基本的な科学的態度さえ忘れてしまうことが
最も危険なことです。



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