想像力に不可能などない
山形大学の発表では、
学生が3日連続で休むと、電話をかけて欠席理由などを
確認する取り組みを始めると発表したそうです。
これを聞いて若い学生の方々はどう思うのでしょうか?
これで良い大学だと思うのでしょうか?
これは誰のためにするのかが問題です。
これは明らかに大学側のためにする取り組みです。
近年の自爆ツイッターや大学生の愚か者行為に対する予防策
ということのようですから。
これを良いことのように感じて酔っ払っているのは
事務方の方で、実は学生にメリットなどないのです。
大学生にもなれば、大学に行くも休むも自己判断です。
そこに時代の流れなど関係ありません。おかしいのは大学側です。
例えば、京都光華女子大学は、事務局の人が、
結構な数の学生の名前を把握しています。これは良いことです。
例えば、教員が無断欠席を心配して、連絡をとるということは
必要なことです。しかし、学生の不祥事を予防する目的で
連絡をするなど愚の骨頂と言ってよいでしょう。
同じ行為をしたとしても、目的と手段が大事であることは
大学が入試で学生に問うていることのはずです。
一人ひとりを見る意思もないのに、予防策だけ講じるのは
まさに本末転倒です。
先日も言いましたが、事務方が自分たちを守ることを
目的としたルールを作り始めた組織は末期です。
こんなことをすればするほど、大学当局と学生との距離ができて
悪循環になることがわからないほどに想像力がないか、あるいは
低下しているのであるならば、やはり末期症状が出ていると
言わざるを得ないでしょう。
過保護というのは、たいていの場合、自分の利益を目的としています。
相手のことをあまり考えません。親子関係に多いでしょうが、
親が子どもペット化しているパターンがそれに当てはまります。
子どもの髪を金髪に染めたりする事例というとわかりやすいでしょう。
それで子どもが喜んでいると強弁し始めると、不幸への一本道です。
一方、よく見るというのは、相手をよく見て、相手の利益を
中心に考えます。仮に3歳の子どもが親の真似をして、金髪に染めたい
と言い出したとしても、親はその子の利益を考えた場合、
例えば幼稚園でどう見られるか、余計な偏見を抱かれないか、
ちょっと考えればわかることを子どもに押しつけないでしょう。
大学といえども、生徒をよく見て、その利益を考える必要が
あるのですが、それをせず、根拠なきモンスターに化けさせ、
その対策を講じるのです。
モンスターを作るのは、大人の側だということです。
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