「何があるかわからないから」は根拠にはなりません
こんな記事を見ました。
全国学力テストで小学校のテストで全国平均が最下位だった
静岡県知事が、当初下位100校の校長名を公表すると
発表したものの、再考を促され、なぜか上位86校の
校長名を公表したというニュースです。
この知事には是非REBTを勉強して欲しいものです。
仏教には三毒という言葉があって、その一つに瞋恚(しんに)という
ものがあります。要するに怒ることです。自分の思い通りにならないと
怒る心のことを指します。こういった心が仏教で人間の諸悪、苦しみの
根源とされています。
この知事は、
①静岡県が学力テストで最下位を取った。
これはREBTのABC理論ではActivating Event(A)と言います。
②腹が立つ
これはConsequence:結果=感情(C)です。これは明らかに
不健康でネガティブな感情です。冷静に考えれば、知事ともあろうものが
一回の学力テストの結果ごときで、腹が立つなど、失笑ものです。
最下位であることに、一切の危機感がないのもどうかと思いますが、
例えば47位と46位と45位でどんな差があるのでしょうか?
大した差などあるはずもありません。
最下位だったとされる小学生でもわかることでしょう。
AとCには関係が認められます。しかし、Cの原因がAではありません。
このCを生み出すには原因が別にあり、これがBelief(信念:思い込み)で
Bとします。このBに間違った思い込みがあると、怒りなど不健康で
ネガティブな感情を生むことになります。
この知事はおそらく妙な思い込みがあると思います。
これはご本人に聞いてみないとわかりませんが、
例えば、(例えですから悪しからず)
「静岡県が最下位なんて許せない!」
「学力テストで最下位なんてありえない!」
「最下位の県の知事なんて恥ずかしい」
「校長の教育がすべて悪い」
挙げればいくらでも挙がりそうです。
だいたいこんな思い込みは、自分本位で、子どもじみたものが
大半です。いい大人の発想ではありません。
最下位をとって気分の良い人は、そうはいないでしょうが、
最下位は順位をつける以上、誰にでもあり得るわけです。
仮に最下位を、知事がとりたくないなら(意味不明ですが・・)
知事が学力テストの前に介入して、最下位にならない指導を
しておけば良いと思います。(さらに意味不明ですが・・)
テスト対策を何もせず、結果だけ捕まえて、腹が立つから
怒り、怒り任せの行動を取る。
一昔前の、ナイターを見ながら晩酌して、子どもに「勉強しろ!」
と怒鳴る悪い意味での頑固親父を思い出しました。
こういった怒りや不安を根拠にした行動がどのような行動であるか。
私たちは是非学んでおくとよいでしょう。見ての通り意味不明な
行動になってしまいます。
最初は下位100校の校長を公表すると言いましたが、公表して
何がしたいのでしょう?全国にさらし者にしたいのでしょうか?
そんな権利も権限も知事にはありません。公表して、成績が上がる
根拠などどこにもありません。つまり何がしたいのかわからない
行動を「とってしまう」のです。こんな行動は「つい出来心で・・」
という軽犯罪的行動と同レベルです。とてもじゃありませんが
首長のレベルではありません。
また、周囲から説得されたものの、引っ込みがつかなくなって
今度は上位86名を公表するという「公表ありき」の行動に
なってしまいました。ここまで来るとただの迷惑行動です。
この「引っ込みがつかなくなる」というのは結構やっかいで、
指導者がそうなると、周囲が大迷惑を被ります。また、
これが戦争だった場合、どうなるでしょうか?
日本人は学習しておかなければならない国民であるはずです。
知事様でも、怒りに取り込まれると、こんな行動をとって
しまうわけですから、私たち一般人は、こうならないように日々
自分を律しておく必要があるのです。
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