常識破りの功罪Ⅳ(おしまい)
三つの「識」が不足している現状
税理士として、30年近く地方の中小企業経営に向き合ってきて思うことは、多くの経営者のみなさんに、次の三つの「識」が不足しているなあ、ということです。
「三つの「識」・・?」いったいどういうことでしょうか。
結論から申し上げれば、それはずばり「意識」「知識」「見識」の三つということになります。図らずも「識」の字がくっついているので「三つの識」(ちょっと長いので、このあとは「三識」と書きます。)と表現してみました。
さてこれは、どういうことでしょうか。
最も重要なのは「意識」
まず「意識」ですが、結論から言えばこれが「三識」の中で、最も重要な「識」ということになります。というのは、経営者にこの「意識」を変えてもらわないことには何も始まらないからです。とはいえ、実はこれが一番難しい。
「意識」を変えるというのは、それまでの考え方ややり方といった思考パターン、行動様式を変えるということです。これは一見、簡単なことのようにも見えます。自分で自分の中の「意識」を変える、というだけのことですから。
ところが、長年、経営者の方たちと接してきて、これが一番難しい、ということがいやというほどわかりました。それはおそらく「思い込み」或いは「刷り込み」といった、理性で判断できる分野を超えた「心」の領域の問題なのだからかも知れません。
例えば、個人経営の創業の頃から「経理は奥さん」と決めてきた社長がいたとします。その会社に、規模の大きさや取引の複雑さなどから、どうしてもパソコン会計導入の必要性が出てきたとしましょう。
しかし、年配の奥さんでは、パソコンの操作がままなりません。ということで、今後は、他人である若い事務職に任せなくては、といった社内事情が顕在化したとき、他人に経理を任すことはできない、と激しく抵抗する社長がいます。「経理は身内で」という「思い込み」が強いのです。
この場合、経理の仕組みを変えるか、経理をガラス張りにすることを受け入れるかすれば済む話です。「経理は身内で」という社長の「意識」さえ変えてくれれば、実務的には周りが進めることなので、決してできない話ではありません。
しかしながら、その「意識」を変えることが難しくて、たったこれだけのことが受け入れられないのです。そのため、経理の近代化が遅れに遅れた会社は少なくありませんでした。(さすがに、もうそんな会社は無くなりましたが・・当初は苦労しました。)
そのほかにも、長年、こうと思い込んできた考え方や方針をなかなか変えられない経営者は多いものです。時代は刻一刻と変化していますので、常に「意識」を変えていく必要性が求められます。にもかかわらず、その変化を受け入れられない経営者が多いのは頭の痛い問題なのです。
シーズとしての「知識」
それでは、この「意識」を変えるためには何が必要なのでしょうか。もちろん「柔軟性」といった心の問題はありますが、現実的に必要なものは何でしょうか。
それはやはり、ある程度の基礎知識ではないかと思います。最低限必要な「知識」という種子がなければ、「意識」が変わる、という果実を掴むことはできません。
この場合の「知識」には大きく二つのパターンがあると思います。
一つは「意識」を変えるために必要な生(なま)情報です。経営者を『世の中が大きく変化しているようだ。どうもこれまでの考え方ややり方を変える必要があるぞ。』といった気持ちにさせる生の情報は、タイムリーなビジネス関連ニュース、経営者の集まりや各種セミナーなどの席で直接耳に入ってくるはずです。こういった情報を聞いたり目にする機会が、何回か重なればそれは経営者の中で一つの「知識」となって、「意識」を変えるための材料になるのです。
もう一つの「知識」は、そうやって「意識」を変化させた先の、具体的な行動を起こす際に必要な「知識」です。先述の「パソコン会計の導入」で言えば、実際の導入に際しての、パソコンのスペックや会計ソフトに対する理解、ということになります。
こちらの知識の方は、経営者にとってあるに越したことはありませんが、すでに「意識」を変えた後の話ですので、絶対的なものではありません。先述のように、どちらかといえば、周りが進めてくれるものでもあります。したがって、こちらの方は経営トップに必要最低限の「知識」さえあればいいと思います。
中には、この後者の方の「知識」に経営者がこだわりすぎて、肝心なことがなかなか進まないときがあります。新しいことを受け入れるにしても、自分が細部に至るまで理解していないと、他人に任せられないというケースです。
そういった真面目さや実直さはわからないではありませんが、経営者に最も必要な「知識」は、前者の「意識」を変えるための生の情報であることを心得ていてください。特に、デジタル系の新しいテクノロジーなどにおいては、経営者自身が「知識」を身につけるよりも、若手に任せた方が、はるかに話が早いものです。したがって、思い切って「任せる」といった度量も必要になります。
最後に問われるのは「見識」
さて最後の「見識」ですが、「意識」「知識」はともかく、他人から「あなたは「見識」が不足している」といわれるのは、気分的にもあまり穏やかな話ではありません。「お前に言われたくないよ!」と思う方もいるでしょう。
したがってこれは、少し突っ込んで説明しないとわかりにくいかと思います。特に「意識」との違いについては明確にする必要がありそうです。
「見識」の意味を辞書で引くと「物事について鋭い判断を持ち、それに基づいて立てた、優れた考え意見」とあります。一方で「意識」の方は「自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の動き」と説明されています。
ということは、冒頭の「意識」の項で解説した「自らの現状」を分析する過程で、そのために必要な「知識」をつけ、これを把握した結果、それまでの「意識」を変えることで、優れた「見識」を持つようになる、といったプロセスを踏むことになります。最終的に経営者は優れた「見識」を持ち、それを行動に移すことで「事業の発展」という結果を出さなければ意味がありません。
つまり、必要な「知識」をもって「意識」を改革しても、「見識」を持つレベルまで到達できなければ、優れた経営者とは言えないことになります。このように「見識」というのは、かなり自らの意思をもって踏み込まなければ手に入らないものといえます。
経営者が、時代に合った優れた「見識」をもって経営に当たれば、事業が大きなリスクに遭遇することは少ないと思います。というより、高い「見識」をもってすればどんな時代においても、事業を成長発展させることは可能なのではないでしょうか。
自分の事業は自分で守る
これまで述べてきましたように「三識」というのは、「意識」を変えるために「知識」を身につけ、変えた結果「見識」を掴む、というプロセスを経て自分のものにできるのです。
地方経済の疲弊ぶりは、政治の無策、少子高齢化、経済構造の変化といったマクロ的な要因が大きいことは言うまでもありません。しかし、これらが今すぐどうにかなるものではないことも確かです。
経営者は、自らの経営力を磨き、自分の事業に関しては自分で打てるうち手を打っていくほかないのです。そのためにスローガンとして今回述べてきた「三識」を掲げ、これを充実させていくというのはわかりやすい取り組み方だと思います。
難しい地方企業経営ですが、行動を起こすことで時代に対処していって成長発展に繋げていただきたいと思います。
わかんないことは若手に任せちゃおう