青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
[世の中は多彩な才能を必要としている]
「平均」からずれていないかをひどく気にするのが、今の社会だが、実は、平均的な人間は、ほとんど現実には存在しない、というのが今回取り上げた説になります。
特に知性については、あの人は頭が良い、となると、すべてにわたって優れていると考えがちになります。
しかし、そういった判断は誤解であり極めて狭い価値判断基準なのではないだろうか、というのが今回の説なのです。
多様性というのは、芸能界などを見ているとよくわかります。
例えば、クイズ番組などで「東大卒」というのは、一つの記号のようなもので「さすが東大卒だからできる!」とか「おや、東大卒なのに知らなかった!」といった、からかい半分のような扱いになっています。
クイズの解答というのは必ずしも知識だけでなく、閃きやときとしては間違っていてもいいから「面白い答え」のようなものが求められます。
ここに東大卒という優等生をちりばめることにより、番組をより面白くする意図を達成させることができるわけです。
芸能界は極端なサンプルだとしても、今世の中は多彩な才能を必要としており、中でも経済社会は新しいアイディアによる新しい挑戦を求めています。
これは、それまで世の中になかったような画期的なアイディアというだけでなく、旧来のやり方から脱皮して、既に存在している新しいテクノロジーも積極的に取り入れていく、といったことも含んでいるのです。
さてこの書評は「知性」について次のようにまとめています。
―しかし、現実には、知性にも多様な評価ポイントが本当は存在し、すべてが同じ動きをするとは限らない。
知性や才能の多様性をもっと重視せよという主張は多くの人に勇気を与えるだろう。―
日本が、多様性を極端に認めようとはしていない社会だとは思いませんが、積極的に多様性が芽吹くように支援しているようにも見えないことも確かです。
これからの日本の課題は、もっとこの「多様性」が花開き実を結ぶような仕組みを作っていくことではないでしょうか。
おしまい
【参考資料】
「平均的思考は捨てなさい」トッド・ローズ著 早川書房
評:柳川範之(経済学者 東京大学教授)