お洒落黎明期・・・DCブームの時代―僕たちは確かにバブルの喧噪の中にいた―Ⅱ
[日本の教育が現代社会の求める内容になっていない?]
私が、子供教育や若者の育成にもっと国の予算を振り向け注力すべき、と考えるのはそれなりの訳があります。
かつて、日本の教育水準の高さというのは、世界に対して絶対的な強み(それも圧倒的な)を発揮したはずです。
それが近年急速に危うくなりつつある、というのはしばしば報道されるところです。
教育水準において、日本の上をいく国がどんどん現れ始めています。
しかし、問題はこういった国々の教育レベルが上がってきたので相対的に日本が下がってきた、という単純な理由ではないことなのです。
競争力の低下もそうですが、理由はそれだけではなく、日本の教育内容が、現代社会の求めるものに合わせた内容になっていないということもあるのではないでしょうか。
つまり、教育内容の切り替えがうまくいっていない、という面も大きいと思います。
日本における教育水準のかさ上げ、或いは内容のチェンジというのは、それなりの予算を必要とする政策になるでしょう。
しかしながら、これは日本全体の極めて重要な課題であり、急務だと私は思います。ただ、その声はまだまだ小さいと言わざるを得ません。
私は、今の日本において更なる福祉の充実が、最優先の課題だとはとても思えません。
限られた予算であれば、それよりも教育の充実の方が、日本にとってはるかに優先課題だと思うのですが、この問題を最優先にあげる勢力はまだ少ないのです。
日本人が、このままこの優先順位の入れ替えに着手しなければ、これが、やがてケント・ギルバート氏のいう
「だから不都合は、取り返しがつかない規模にまで膨らむ。」
といったレベルにまで発展するでしょう。
そんな事態にならなければいいのだが、といつも思います。
私も大人相手に教えています。
つづく