笑いのツボっていろいろだよね―ジェネレーションによって違う「何が可笑しいのか・・・」―Ⅲ(終り)
[重要な案件は自分で熟考するしかない]
相談にはしばしば「したり顔の否定論者」というのがつきものです。
彼らは決して最初から肯定はしなません。
まず否定してみせることで、一段優位に立てると信じているからなのです。
「まだまだ甘いな。」「物事がよくわかってない。」「責任が取れるのか。」・・あらゆる「したり顔」の理屈を駆使して否定にかかります。
よく聞いていると、なんだか筋違いの助言のようでもあるが、そんなことは彼らにはお構いなしである。
たぶん彼らには、その新しい試みの本質が良いも悪いもよくわかっていないはずです。
もともとそんな判断がつくタイプではないのです。
こんな風に、したり顔程度のアドバイザーなら世間には山といます。
そんなレベルの連中に相談したところでなにも始まりません。
これまで私は、散々そんな「助言」と称する実は否定の現場を見てきました。
だから、私は重要な案件に関して判断を仰ぐタイプの相談はほとんどしないのです。
ちょっと背中を押して欲しい、といったレベルの相談もしないし、する必要もないと思っています。
自分で決めるしかないのです。
決断しなければならない重要な幹の部分は、自らの判断で決めるしかありません。
しかし、前述したようにそこを決めてからの細かい部分について、先達の意見を聞くことはかまわないし、すべきでしょう。
ただしその先輩は、それを相談するのにふさわしい資質の持ち主かどうかが問われるところです。
柔軟で前向き、能力の高い人間に限られるのです。
なかなかいないと思うが、そのタイプによる助言でなければ聞いても意味がありません。
とにかく、重要な案件は自分で熟考するしかないのです。
考えに考えて決断する。
決断したら果敢に実行する。
それしか何か物事を実現する手立てはないのです。
まあこれは、誰に話す話でもなく、まさに自分に言い聞かせることではあるのですが・・・
「相談」という行為が陥る落とし穴ということを考えてみたときに、こんななことをふと思ったので、書いてみました。
夜明けは近いぜよ・・・
あれっ!?!西郷?竜馬?
おしまい