2つの結婚披露宴―悪いことしちゃったなあ・・・遠い昔のほろ苦き思ひで―Ⅰ
以前、上京した折にはいつも次女のマンションに宿泊していました。
寝泊りには不自由しない程度のスペースがあるので、厄介になることにしていたのです。
そんなとき、ただ泊まるだけなのも申し訳ないと思い、台所に洗い物などあるときは皿洗いもやることにしていました。
カミさんと一緒に上京した時は、彼女が洗い物から洗濯掃除まですべて完璧にやってくれていたので、私一人が来たときとは有難みの度合いがまるで違っていた。
ま、私だって皿洗い程度ならできたのではありますが・・・
しかし思い出してみると、これが今年亡くなった父となると話がまるで違ってきます。
父が家事の手伝いなどしているのを見たことがありませんでした。
まあ私にしても、家にいる時は家事の手伝いなどほとんどしないほうではありますが・・・
とはいえ、例えば自分の衣類の片づけや出し入れ、旅行や出張の際のパッケージなどは自らやっています。
父はそれすらやったことがなかったでしょう。
これまでも、旅行の際は父の分も全て母が準備していました。
おそらく、靴下や下着ひとつどこにあるかも分らないのではないでしょうか。
しかし、私を含め周りのみんなも「そんなもの」と思ってこれまで過ごしてきたのです。
世代、ということもあって、格別違和感を持つことなくこれまで来たのでした。
いつだったか、台所の洗い物が溜まっていることに業を煮やした父が自分で洗おうとしたことがありました。
それを見た私や弟は、あわててその洗い物を引き取ったことを覚えています。
父が洗い物をする姿が、いかにも似合わないような気がしたからです。
しかし今考えてみれば、父にあのように遇してきたのはよかったのかな、という疑念が残るのです。
私や弟がもの心ついた頃はもうそんな時代ではなかったが、父が幼い頃から「男子厨房に立たず」的な雰囲気の中で育ち大人になったのだろうということは想像に難くありません。
しかし時代は変わりました。
男子も厨房くらい立てなければ、逆に不幸になってしまう時代です。
年をとってきたり病気になったりしたときに、「身の周りのことが自分でできる」という状態がいかに幸福なことかと、晩年の父を見ていても自覚します。
ちょっとしたことも人の手を煩わせるというのは、お互い不幸であろうと思います。
そういう意味では、私も身の周りのいろいろなことをこまめにこなしているとはまだ言い難い状況です。
人間、晩年になったときの幸福感というのは、壮健なときとはまた違うということを自覚しなければなりません。
「皿洗い」にもっとプラスしていかなければなあ、思う今日この頃です。
焼酎のお湯割りくらい自分で作りますけどね・・