若者から見た「ズレ」への共感について―現代日本の様々な矛盾点を考えてみる―Ⅶ
さて、ジェネレーションギャップというものは、いろんな場面で出現します。
ファッション、音楽などの流行、社会風俗、ものの考え方いろいろあるといえます。
しかし、その中でも特に顕著なのは「笑い」、具体的に言えば「何が可笑しいのかわからない!?」という奴ではないでしょうか。
笑いのツボという奴は、地域性、性別、立場(社会的ポジション)などによっても違うのでしょうが、なんといってもジェネレーションによる差が一番大きいと感じます。
これは何も若い世代に対するものだけではなく、上の世代にも強く感じることがあります。
母が世間話の中で「そのときねえ、もうそこにいたみんなで大笑いしたのよ。」と言っていても、一体その話のどこがそのときそんなに可笑しかったのかわからないことが多いのです。
何か、母の世代の間で可笑しいと思うポイントがあるらしいのですが、よくわかりません。
「みんなで大笑いしたのよ。」と聞く度に、そのポイントの共通項を見つけて理解に努めようとするのですが、未だに解明できません。
親と子、この一世代違うことでいわゆる「笑いのツボ」は大きく異なるのか、と思っていたら、それだけでもないらしいのです。
もっと近い世代でのギャップについて私の次女が面白い話をしていました。
次女は昭和61年生まれ、昭和の最後の方に生まれた世代です。
数年前に入社した会社もそこそこ経ちました。
当初いちばん若かった娘にも後輩ができたらしいのです。
次女は、その後輩たちについてこんなことを言っていました。
「ねえねえ、お父さん、やっぱり平成生まれって違うわよー。笑いのポイントがまるで私とはズレてんのよ。」
つづく