したたかな人生、祖母の思ひ出―この人だけは敵に回したくないと思わせる人―Ⅰ
先日若者の「○○離れ」について書きました。
あのときは「車離れ」と「ブランド品離れ」について私の考えを述べてみましたが、そのほかにも若者の「○○離れ」は沢山あるそうです。
酒離れ、煙草離れ、ギャンブル離れ、恋愛離れ、活字離れ、テレビ離れ、電話(固定)離れ、消費離れ
いろいろと挙げられています。
中でも「酒離れ」は少し気になるところです。
「酒」を覚えるのは、若い頃私たちにとって、一種「負」の通過儀礼でした。
「酒は飲むもので、飲まれてはいかん。」なんて先輩たちに教わったりもしたが、飲み方もろくすっぽわからない若造の頃は、酒に飲まれて大小あれこれ失敗もしたものです。
東京にいる頃、学生時代から社会人になるまでずっと新宿ゴールデン街のスラム的な飲み屋に通いました。
この店は50年近くたった今でも、当時と同じママさんがやっているので上京した折には時々顔を出しています。
若い頃は、背伸びしてこのゴールデン街の酒場に通ったのです。
この酒場は、役者或いは役者崩れの人、フリーのライター、マスコミ関係者、舞踏家、舞踊評論家、本流から外れた大学の先生などサブカルチャーの担い手オンパレードでした。
ここに行くと、一晩に必ず幾つかの「事件」が起こり、普段の日常では味わえない刺激をもらったものです。
「役者崩れ」とは、いささか失礼な言い方かもしれません。
本人たちは大まじめで、アングラ劇団のような、一般的にはよく知られていない世界で活動している人達でした。(注:「アングラ」とはアンダーグラウンドの略で、表舞台に立たない、いわばマニアックな世界での活動を指します。家に籠っている訳ではないので、今でいう「オタク」とも若干違います。)
彼らは、イメージとは裏腹によく勉強もしていたし、真面目で不器用な人が多かったのです。
そう言えばある晩、即興で東北弁ごっこをやろう、ということになったとき、生真面目な彼らは案外と不器用かつ下手くそで、私の方がよほどうまくこなしていたのを覚えています。
それはともかく、このゴールデン街の店ではよく酒を飲みました。
こういう場所で飲んだくれていると「無頼(ぶらい)」という言葉が頭をよぎります。
まっとうな社会生活から少しドロップアウトした不良な気分、とでも言えばいいのでしょうか。
「無頼」という言葉には「常識」とか「たてまえ」とか「健全」とかに対する反骨精神、反逆の心みたいなものを感じます。
つづく