顧客ニーズとウォンツについて―顕在化した需要と潜在的需要について考える―Ⅱ
マーケティングというのは、それを語る人が100人いれば100通りの定義があるそうです。
ということは、これといった決定的、或いは極めて定型的な定義がある訳ではありません。
かといって、全く異なる概念をマーケティングと呼ぶこともなさそうです。
一方に商材なりサービスがあって、一方に顧客が存在する、という状況で両者を良好につなぐにはどうすればいいか、とシチュエーションで語られることがほとんどだろうと思います。
つまり、マーケティングはやはり「商売」あるいは「ビジネス」を介在させて説明されないとわかりにくいのです。
かつ、具体的であればあるほど分かり易いといえましょう。
逆に言えば、ビジネスが介在しないにもかかわらず、純粋にマーケティングのみを論理的に追いかけるのは学問、学者の世界の話になります。
私のように自らが実務家であり、顧客である経営者にマーケティングを伝えるには入口のところで分かり易くなければ扱いにくいのです。
宗教というものは、例えばまず仏陀やキリストが唱えた教義があって、それを布教することから始まったのですから原点は営業活動のようなものといえましょう。
初めは迫害を受けたり、小さな集団だったものが、次第に整理されて組織化されシステム化されて大きな宗教団体の世界を作り上げていったのです。
その布教に於いて、特に当初の布教の段階では人々に知らしめるためにかなり踏み込んだマーケティング的活動を行なったに違いありません。
宗教が商売でない、というのはその通りだと思いますが、先般京都の西本願寺にお参りに行ったとき、その巨大な産業構造に圧倒されたことを思い出します。
商売ではないかも知れませんが、「商売」かのように組織運営はなされています。
そうしなければ裾野に広がる多数の門徒を束ねていくことなどできないのでしょう。
宗教の持つマーケティング的側面、これからも目の離せないテーマであります。
おしまい