スタイリスト、「服育」の勧めⅡ
私はこれまで「マーケティングはビジネスそのものであり、利益を追求してやまない企業活動の重要なファクターである。」的なことを言ってきましたし、書き続けてきました。
ま、マーケティングを分かり易く伝えるために、それはそれで今でも間違ってはいないと思ってはいます。
しかし、この文章にありますように「マーケティング」というものは、もっとより深く追求できなくもないものなのです。
ただ、その定義を「相手にとって価値ある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動」といった表現で表すとなると結構難しい話になってきます。
つまり、私のように中小企業の親父さんにもマーケティングを実践できるように伝えたい者にとって、こういう難しい表現を使ったのでは「じゃあ、いったいどうすりゃいいんだ!」と言われそうであります。
この定義を、分かり易く解釈すれば
「宗教もマーケティングも相手に信じさせる、或いは信頼を得ることでお金は自然にあとからついてくる。」
ということになります。
私が伝えようとするマーケティングを「浅薄」と先述しましたが、宗教とその深さやレベルを同一にしたマーケティングには少し危険な側面も感じます。
マーケティングがより良きものを目指していれば「信頼」という絆が築かれ、ビジネスの場合それが成功へとつながります。
宗教においてはそれがもう一歩踏み込んで「信心」ということになるのでしょう。
しかし、「信心」は誘導の仕方によっては「盲信」になりかねない危険をはらんでいます。
たちの悪い新興宗教などは「盲信」がさらに進んで「狂信」へと導き、宗教によって救われるどころか破滅への道を突っ走ることさえあるのです。
私は、仕事としてしばしばマーケティングを語りますが、ここまでのディ-プな状況を作り出そうとは思いません。
もう少し表面的で軽い感じでいいから、ビジネスにおけるマーケティングを理解してもらえればいいと思っているのです。
つづく