自閉症の青年を草なぎ剛が演じたドラマ「僕の歩く道」
異文化コミュニケ―ションという見方
さてもしA君の言うとおりだとしたら、発達障害圏の人のコミュニケーションは、アメリカタイプの内容中心のコミュニケーションだということになります。ここまで対極にあるコミュニケーションスタイルの違いを乗り越えるにはどうすればよいでしょうか?
これは間違いなく「異文化コミュニケーション」の問題であるといえるのではないでしょうか。そう考えるとA君の悩みは「人の気持ちを理解できないという障害に起因するもの」であり、「彼らには特別な支援」が必要であるという日本においては「多数派である定型発達者に見られる文脈中心のコミュニケーターが、少数派の内容中心コミュケーターに一方的に手を差し伸べるという見方」に疑問が湧いてきても不思議ではありません。
むしろ異なるコミュニケーション・スタイルの理解と相互関係の持ち方の問題であるということもできます。であれば、むしろ関わり方を変えなければいけないのは多数派である文脈中心コミュニケーターの方であり、そこに自覚的にコミットしていく姿勢が求められているのかもしれません。
「定型発達障害」と言う考え方 ~相対的な見方~
これまで見てきたように、私達日本の文化自体が非常に文脈中心文化であり、そういう意味から発達障害の方々にとってはコミュニケーションの難しい文化であることがお判りだと思います。そうであるがゆえに、この社会では内容中心コミュニケイターである発達障害の方々が苦労を強いられているわけです。
こういう文化に対する「相対化の視点」が異文化交流においては欠かせないと言えるでしょう。つまり「自分達の常識が相手の常識とは限らない」というわけです。こういう物の味方・考え方の「相対化」を視点に据えて発達障害者のコミュニケーション問題を見直した時、非常に違う景色が広がってきます。
(写真はAmazonより)
上の本をご存知でしょうか?「アスペルガー流 人間関係」と言う本で14人のアスペルガー症候群の当事者が書いた「人間関係」をめぐる苦闘の記録です。発達障害と言うのはこの社会においては圧倒的に少数派です。したがっていわゆる定型発達者という多数派によって作られたこの社会に置いては「特別な支援」が必要とされる存在ですが、もし基準を少数派の彼らにおいてみた場合、多数派の人たちは『定型発達症候群』と名付けられる「常に事柄の背景や文脈に気を取られてしまう障がい」を抱えているのではないか、ということが、この本では提唱されています。なるほど、私は目からウロコでした。
まず「彼らを知る・教えてもらう」
では具体的にどうすればよいでしょうか。
私は異文化交流の専門家ではないので詳しくは語れませんが、常識的には「まずお互いを知る」と言うことではないでしょうか
まず発達障害児・者の行動特性やコミュニケーションの特徴、認知の特性や理解の仕方について知識を深めること。さらに発達障害と言っても当然のことながら一人ひとり違います。Aくんの場合とBくんとでは異なります。したがって一人一人についてよく知ろうとする姿勢を持つこと。それには本人に聞いてみるのが一番良いかもしれません。冒頭でA君が自分の特徴について語ってくれたように、まず「知ること」「教えてもらうこと」から始める必要があるでしょう。
もっともAくんのように自分自身をふりかえり、言葉にできるようになるのはそう簡単ではありません。「自分自身に対する自覚」に難点がある発達障害の方々の場合、言葉にできないがために様々なトラブルになってしまうこともあります。そういう点では周囲の人々の観察と共感能力が大変重要になります。それはむしろ定型発達者の得意とする分野かもしれませんね。
そして「自分自身を知る」
そして次に「自分自身についても知ること」でしょう。我々の彼らに対するコミュニケーションが彼らを困らせていないか?
こちらの言い方を理解できない方が問題なのではなく、彼らに伝わるようなコミュニケーションをとれていない自分たちについても振り返る必要があると思います。そしてそのことについてお互いが心を開いて伝え合う、認め合う、トラブルは工夫と努力で乗り越えていく、ということになるかもしれません。
日本の定型発達者の得意とする「察する」「裏を読む」というスキルが、相手に対してだけでなく自分のコミュニケーションのスタイルへの振り返りについても適用されて、異なるコミュニケーション・スタイルの橋渡し機能となることが求められているのかもしれません。
そのノウハウは特別支援教育や家庭での工夫を紹介する本やサイトに数多くヒントがあります。もし効果がなかったり適切な方法が見つからなければ、自分で工夫をしてトライアンドエラーでノウハウを蓄積し、共有していきましょう。引き出しは多ければ多いほど役に立ちます。
相互理解のために
さてAくんの発言や先の図でもわかるとおり、考えてみれが日本の文化・コミュニケーションスタイルは発達障害者にとって非常に生きづらい状況です。ですからA君が「アメリカに生まれてきたかった」と言ったのはまさしく的を得た発言だったのです。
そしてそれを考えた時、日本に住む私たちは世界の中でも飛びぬけて「自閉スペクトラム症を中心とした発達障害児・者に対する相互理解」が求められているのかもしれません。そのモデルとして「異文化交流」の様々な分野からヒントを得ることができるのではないかと期待しています。
もちろんこの考え方は発達障害に限るものでないでしょう。LGBTや他の障害を含むさまざまな問題が単に少数派であるということから特別扱いを受けたり差別を受けたりするのはおかしいことでしょう。これらの問題は、今後の我々の生き方や価値観や文化の多様化という問題に投げかけられた厳しい問いかけなのかもしれません。