自閉症に対する無理解が引き起こした悲劇 「彼女の名はサビーヌ」
私はこれまで発達障害だけでなく、身体障害・知的障害・精神障害・聴覚障害などの多くの児童や成人、そのご家族と関わる機会を持たせていただいてきました。
その経験を通じて心に残ったエピソードや思いを少しずつ言葉に置き換えていこうと思います。
特にこのコラムではテーマとして「発達障害」を取り上げます。
初回からちょっと刺激的なタイトルにしてしまいましたが、最近発達障害を巡る状況に感じていることを書いてみます。書きたいことは沢山あるのですが、一度に言葉にすると書くのも読むのも大変なので、少しずつぼちぼちアップしていきます。もし興味があれば、気楽に気長にお付き合いください。
さて、皆さんは「発達障害」と言う時の「発達」をどういうイメージでとらえていますか?
「そりゃ子どもが大きくなって、出来なかったことができるようになることでしょう」と言うのが多くの方のお答えでしょう。それをイメージとしてとらえれば、「右肩上がりの直線」のイメージでしょうか?
私にも子どもがいますが、あんなに小さく無力だった子が、いつの間にこんなに大きくなって(無愛想だけど)色々なことができるようになったのだ、と思うと驚かされます。結果だけ見れば、小さい姿と今の姿を結ぶ直線的な発達をイメージしても不思議ではありませんね。
しかし「発達」と言うのは、年齢と結果を単純に結ぶものではありません。何歳の時に何ができなくて、何歳になったらできるようになる、という年齢と結果だけを結びつけるのなら直線的なグラフになりますが、実際の子どもを前にしてグラフ直線を物差しのように当てはめるというのは逆転しています。
私は「発達」を考える時、結果ではなくその経過を大切にしていきたいと思っています。
それについては次回触れていきたいと思います。