マナーうんちく話92≪優雅さが自慢!和の作法≫
●大きな格差があった下級武士と上級武士の食生活
政権が安定した江戸時代には多様な文化が花開き、食生活も大変豊かになり、今の和食の原型ができたようです。
それにつれ花のお江戸ではグルメブームが巻き起こるわけですが、当時江戸は特別な地域だったと思います。
武士の世界ではどうでしょう。
高級料亭で贅沢な食事ができるのは、ごく一部の「高級武士」だけで、中級や下級の武士の食卓はお世辞にも贅沢とはいかなかったようですね。
高級武士は食べ物の「買い食い」はしなかったのでしょう。
ちなみに武士の最高位の「将軍」の食事はどうかといえば、意外に質素で一汁二菜、もしくは三菜といわれています。
最高位の将軍がそのような食生活ということになれば、地方のお殿様も似たような食事になるのではないでしょうか。
特に朝食は質素で白米よりも「麦飯」を好んで食した将軍様もいたとか。
栄養価も高く、健康に留意していたのでしょうか。
ただ「食材」は全国から献上品が多く届いたようで、最高級品だったと思います。
それをベストの状態で美味しく食べればいいのですが、いくら良い食材を使用していたとしても、「毒見」などのプロセスを経るので、気楽にというわけにはいかなかったのではないでしょうか。
毒見とは提供された料理が安全かどうか、つまり毒が入っているか否か、腐敗していないかなどを、毒見を担当する人(毒見役)が食べて、しばらく様子を見ることです。
次に「一般の武士」の食生活は「一汁一菜」が基本で、比較的質素な食生活だったということですね。
ただ、おかずは質素だけれど、米のご飯はかなり多く食べていたようです。
令和の米騒動が起きている今だったら、どうでしょうか。
それに米のご飯ばかりで、おかずが質素という内容では、栄養面でも問題があり、特に脚気などの病気が気になります。
とにかく江戸時代の米の消費量はとても多く、一人当たり年間一俵(60キログラム)といわれている、現代人の2倍くらい消費していたようです。
ちなみに都市部の人は白い米のご飯ですが、農村部では芋や雑穀などを主食にしていたようですから、地域によりかなり差が生じます。
しかし日常生活は質素な食事ですが、祝い事や年中行事など、いわゆる「ハレの日」の武士の食卓は、卵や魚などのプラスαが加味されご馳走になります。
また下級の武士は前回触れました屋台などを利用していたのでしょう。
一般庶民とほとんど変わらないということです。
●「いただきます」はなかったが、武士らしく、礼儀正しい武士の食卓
往々にして、高級武士も下級武士も礼儀正しく戴くというのが武士階級ならではの食卓だったと思われます。
武士が礼法を身につけた理由は、威厳を保つためであり、「武士らしく」を演出するためでもありました。
そして数々の立ち居振る舞いの中で、特に重要度が高かったのが食事に関する礼法です。
武士の「もてなし料理」として確立された「本膳料理」の食し方など、非常に厳格な作法が敷かれていました。
例えばお椀の蓋はお膳のわきの下に置く、皿から皿への移り箸はしない、飯茶碗をもって飯を一口食べたら汁椀に替える、つまり同じ料理を食べ続けない、香の物はご飯の最後に食べる、与の膳と五の膳は持ち帰るなどです。
今のように楽しい会話とともにとか、「○○しながら飯」などはもってのほかです。
ところで私もテーブルマナー講座ではよくお話ししますが「箸先5分、長くて1寸」という言葉をご存じでしょうか。
箸の先の部分の汚れは少ないほどいいという意味です。
1寸は約3cmで、5分はその半分です。
汚れていい許容範囲はせいぜい3センチくらいということです。
武士の食事の作法は色々ありますが、武士は美意識が強かったのでしょうか、極力汚さないで食することに重点が置かれていたわけです。
見た目が汚いということは、無礼につながると考えられていたようですね。
美しく食事を終えることこそ、武士の威厳だと捉えられていたように思います。
私も和食のテーブルマナーでは、つねに「美しい食べ方」をお勧めしていますが、食べ方が美しいことに加え、食材や料理を作ってくれた人への感謝、及び周囲の人への配慮をおねがいしています。
古今東西「生きることは食べること」であり、美しい食べ方は、美しい生き方につながるので、特に美しい食べ方に重きがおかれたのではないでしょうか。