マナーうんちく話500≪継続は力なり、500回ありがとう!≫
【改めて日本のもったいない文化を考える】
「もったいない」という言葉は、今では「モノの値打ちが十分発揮できず、無駄になっている状態や行為を戒める言葉」になっていますが、実は大変奥が深く、「私たちは支え合い、助け合って生かされている」という真実が根底にあるようです。
つまり目に見えない力により助けられているわけで、この意味は恐らく英語にもフランス語にもドイツ語にも訳せないでしょう。
日本独特の言葉であったのが、マータイ博士のお陰で、世界共通語として普及したことは大変ありがたいことで感謝しなければいけませんね。
加えてその言葉に責任を持ち、そしてSDGsの旗振り役を担いたいところですが、前回触れた弁当の大量廃棄は真逆ですね。
10年くらい前だったでしょうか?
ある高級料亭が「もったいない」という精神から、客の食べ残しを使いまわして顰蹙を買い、倒産に追い込まれた事件がありました。
長年食と向かい合ってきたものとして、気持ちは痛いほどわかりますが、社会から制裁を受けましたね。
民間企業なら痛い目に合うということでしょうか。
では、今回のように箸が付けられないままの弁当が大量に放棄された事件はどうなのでしょうか?これがうやむやにされるようでは困りますね。
【もったいない文化と米作り】
四季に恵まれ、世界屈指の長い歴史を誇る日本は、稲作を中心とした米作りで栄えた国ですが、日本の米作りは約2500年の歴史を有するといわれています。
今は機械化されていますが、従来の米作りは88の手間暇がかかる重労働です。
田んぼを作り、その田んぼにきれいな水を循環させる必要があります。
だから一人では無理で、みんなで心を合わせ、協力しながら進めていく必要があり、気を抜くわけにはいきません。
ここから「しきたり」も「助け合う精神」も「和も精神」も生まれたのでしょう。
さらに「稲=命根」とか「米一粒=汗一粒」というような精神文化も生まれたわけです。
こんなに手間暇がかかるわけですから、一粒の米粒も大切に扱うという「もったいない文化」が芽生えたのも理解できます。
加えてそれを基盤にした「モノを大切にする文化」も熟成されたのでは思います。
そして、その米作りは天候の影響を強く受けます。
天候ばかりは今の科学でも人の力ではコントロール不可能です。
おのずと自然に対して畏敬の念が生まれ、豊作になれば「お陰様」という謙虚な気持ちにもなれるのです。
日本の5円硬貨には、たわわに実った稲の姿が描かれています。
「もったいない精神」や「米作り」は、直接的にも間接的にも、持続可能な社会に大変貢献しているといえるのではないでしょうか。