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平松幹夫

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平松幹夫(ひらまつみきお) / マナー講師

人づくり・まちづくり・未来づくりプロジェクト ハッピーライフ創造塾

コラム

マナーうんちく話2041《ジュンブライドと日本の結婚式》

2021年6月6日

テーマ:結婚のマナー

コラムカテゴリ:冠婚葬祭

【ジューンブライド物語】
6月は旧暦では「水無月」、つまり水のない月と表現しますが、実は「水の月」です。
不思議な気もしますが、「水無月」の「無」は「・・の」の意味です。

梅雨のせいで6月は一年で最も水と縁が深い月ですが、稲作にとっては大変貴重な月と言えます。

一方英語では6月は「june」ですが、ローマ神話の結婚や出産を司る女神「ジュノー(juno)」に由来されるといわれます。

そういえば古くからヨーロッパでは「6月の花嫁は幸せになれる」と言い伝えがありますね。

女神ユーノの祝福と加護を受けた花嫁は幸せになれるわけですが、ヨーロッパの6月は気候が安定し晴れの日が多いことや、農繁期から解放され結婚が解禁になるからという理由もあるようです。

またヨーロッパでは「雨の日の結婚式は幸福をもたらす」という言い伝えもあるようです。

結婚した後には、花嫁は日常生活で様々な苦労を経験し、多くの涙を流すこともあるわけですが、その悲しい涙を神様が代わりに流してくれるからだそうです。

ヨーロッパの結婚式にはいろいろなロマンがあってほほえましいですね。

ところで日本で、ホテルで結婚式が行われるようになったのは、1964年に東京オリンピックが開催された以降ですが、日本の6月は梅雨のさなかで結婚式は激減します。

そこでホテル側も色々と戦略を練るわけですが、ヨーロッパのジューンブライド伝説をとりいれたところ、このロマンチックな言い伝えに共感する人が意外に多く、それがヒットして現在に至ったわけです。
今でも秋の結婚式に次いで需要があるようです。

【日本の結婚の歴史】
ヨーロッパの結婚の起源は神話に登場するくらい古いようですが、世界屈指の歴史を誇る日本も負けてはいません。

日本独特の素晴らしい結婚の文化が存在します。

ちなみに日本で最初に結婚したのは、定かではありませんが、日本書紀や古事記に記された伊邪那美と伊邪那岐という説が有力です。

そして日本書紀では、このふたりの神様に子どもの作り方を教えたのが「恋教え鳥」と呼ばれる鶺鴒(せきれい)です。

神話の世界ですから、古すぎて立証は難しいようですが、何となくロマンを感じますね・・・。

また平安時代になると男性が女性宅に通い、女性が男性をもてなしたとか。

いわゆる「通い婚」ですが、夜の時間は二人にとってはとても大切な逢瀬の時間だったわけですね。

夜長の秋と短夜の夏では、昼と夜の時間が5時間前後異なりますから、今のように夜が短い時期は、余計に愛しく思えたかもしれません。

それだけに1分1秒も大切にしたい気持ちだったことでしょう・・・。
清少納言も「枕草子」で、春はあけぼのの後に「夏は夜」と書いています。

江戸時代になると女性が男性の家に嫁ぐようになりますが、特に武家の間では家を絶やさないことがとても大切な事だったので、花嫁も大きな負担を背負うことになったと思います。

恐らく今のハネムーンのような甘い雰囲気ではなかったのではないでしょうか。

このように江戸の武士にとっての婚礼は大変大きな意味を持つわけで、多彩な文化が生まれました。

そもそも結婚式に宗教色がとり入れられたのは明治以降ですが、江戸時代の庶民にとっての結婚式は、そんなに派手なものではありませんが、結婚も恋愛も結構おおらかだったようです。

夜になって花婿である男性の家に縁者が集まり「339度の杯」を交わし、高砂の歌でも歌えばよかったわけで、まして長屋住まいの人は、女性が男性の家に入ればそれで結婚が成立だったようです。

また当時は圧倒的に農業に従事する人が多かったわけですが、農家の花嫁は田植えや稲刈りなど大仕事があるわけですから労働力が期待されるわけですね。

一方商家の花嫁には愛想が要求されますが、持参金の金額も関心がもたれたとか。

武家階級は豪華で厳しい作法が要求されます。
下級武士は別として大名や上級の武士の結婚式はとても豪華で、作法も厳格だったようで、「339度の作法」などは大変煩雑な作法が敷かれていました。

さらに花嫁の衣装、祝いの口上、食事、床入りまで、とにかく《形》が非常に厳しい気がします。

例えば式が終われば「床入り」となるわけですが、寝所まで作法が定められており、夫は東側の床で、妻は西側にとることになっていたそうです。

婚礼時における動作や口上など、これほど厳格な作法が敷かれているのは、恐らく世界でも類を見ないのではないでしょうか・・・。

そういえば江戸時代の婚礼には「鶺鴒台」という縁起の良い置物が置かれたとか・・・。
鶺鴒は番(つがい)になると大変仲が良くなるといわれているので、縁起を担いだのでしょう。

そしていよいよ明治から昭和にかけてですが、実は日本の明治から昭和にかけての結婚式はとても盛大に執り行われていたようです。
封建制度から解放され、欧米文化も入り、暮らしが自由で豊かになったからでしょうね。

当時は家と家の結びつきという考えが主流で、神前式と披露宴が一般的で、挙式・披露宴は自宅で執り行うのが一般的で、友人や近所の人が手伝ったり、ご馳走を持ち寄ったりしていたようです。

私は公民館から講演依頼を多く頂きましたが、古い公民館には舞台のカーテンの奥に神前結婚式の道具が一式収納されていたところもありました。

なみに私がホテルに入社した当時は見合い結婚が多く、結婚式も豪華で、「金襴緞子の帯締めながら花嫁御料はなぜなくのだろうか」「文欽島田の髪結いながら花嫁御料はなぜなくのだろうか」とうたわれているように、とにかく絢爛豪華な花嫁衣装が印象的でした。お見合いのマナーも厳しかったと記憶しています。

そういえば「娘3人持てば身代がつぶれる」という言葉もありました。

また当時は仲人の存在や結納の儀式も結婚にはつきもので、特に初めて仲人を経験する職場の上司や親族の人に結納の作法等を丁寧に、ご指導した経験があります。

新郎新婦以上に緊張され、挙式が近づくにつれご飯がまともに味わえない人も珍しくなかった時代で、その時「人と人との絆」はこのようにして結ばれ、強まるということを実感したわけです。
そして今でも良好な人間関係作りの講座では、そのことを教訓にしています。

ところで昔は「女性は結婚するまでは親に従い、結婚したら夫に従い、老いては子に従う」と言われたり、子どもができなかったら離婚が成立したりで、女性は低い地位にあったと思われます。

それでは昔の女性は全員不幸だったのかといえば、一概にそうとも言えないのではないでしょうか。

そして今ではすっかり男女平等になり、結婚も多様化しました。

ただ「価値観の合う人」「一緒にいて楽しい人」など、希望の条件で結婚する人が多くなり恵まれているようですが、離婚率は昔より高くなったみたいで気になります。人生100歳時代に入り、離婚感も大きく変わったので何とも言えませんが・・・。

いずれにおいても古今東西、夫婦は元気で仲良いのが一番と考えます。

この記事を書いたプロ

平松幹夫

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平松幹夫(人づくり・まちづくり・未来づくりプロジェクト ハッピーライフ創造塾)

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