マナーうんちく話139≪贈り物の頂き方のマナー≫
梅雨明けが伝えられるようになりましたが、これからは入道に例えられる積乱雲が多発するので、突然やってくる夕立に注意が必要です。
「馬の背を分ける」といいますが、夕立は降り方が局地的です。
その昔、馬に乗った旅人が峠に差し掛かったころ、馬の右側の山では雨が降っているが、左側の山は晴れ渡っているのを見て、このように表現したとか。
ちなみに夕立は別名「驟雨(しゅうう)」といいます。
日本の雨は風情があっていいですが、地球温暖化で最近の夕立はゲリラ豪雨になりやすく、多くの被害が出ているのが気になりますね。
ところで、この時期「お中元」を贈ったり、戴いたりする人も多いと思います。
贈り物を通じて相手を思いやる日本人の優しさの表れでしょうが、長い歴史の中で、日本の贈答習慣は多様な変遷を遂げています。
月の最初の日を「朔日(さくじつ)」といい、旧暦8月1日は「八朔(はっさく)」です。
旧暦の8月1日頃は今の9月上旬に当たりますが、この時期は夏から秋への移行期で、農作物が病気をはじめ、風や虫や鳥の被害を最も受けやすくなります。
だから各地で疫病予防や豊作祈願を目的とした夏祭りが開催されます。
当時は疫病発生の原因は、不慮の事故、政変などによりこの世を去った人の霊の祟りと考えていたようで、疫病を避けるという差し迫った要求があったわけです。
また9月にもなると「早稲」が実る時期でもあり、農家ではとれたての稲を、庄屋、世話になっている人、親しい人に贈ってお祝いをしました。
これが「田の実の節句」と呼ばれるものです。
「田」と「実」の漢字から成り立っているように、農業と関連が深いわけですが、「頼む」「頼りにする」にも転じて、日頃何かと世話になっている人に、収穫したての穀物を贈る習慣が鎌倉時代にできたといわれています。
勿論まだ完全に実ったわけではないので、今後の天候次第でどうなるかわかりません。つまり今後の豊作の「前祝い」という意味もあるわけです。
このように収穫前に豊作を祈ることを「予祝儀礼」といいます。
やがてこの習慣が武家や町人の社会にも広がります。武家社会は主従関係の存在をより厳格にするために、贈答のやり取りが頻繁に行われたのでしょう。
当時の贈り物は扇子や刀から牛や馬まであり、これらが公儀の贈答慣例になっていたようです。勿論今のように宅配業者任せというわけには参りません。
室町時代になると「武家礼法」が確立され、それに伴い、非常に厳格な礼儀作法に基づいたやり取りが想像できます。
下級武士はともかく、中級から上級武士になると、装い・立ち居振る舞い・言葉遣いなどそれは大変だったと思われます。礼法を指導する「高家」という家柄が存在したことからも、高い授業料を払って贈答のやり取り等も勉強したのでしょう。
将軍家と朝廷間、将軍と武家などのやり取りでは正装で臨むのが礼儀ですが、とにかく当時の作法は中途半端ではありません。だから美しいわけです。
さらに江戸幕府では、徳川家康が8月1日に江戸入りしたので、「八朔」は正月に次いで重要な日になり、家臣は将軍に正装姿で恭しく品物を献上したようですね。
時代の流れとともに町人の社会にも普及し、習い事や遊郭などの世界でも独特の贈答習慣が生まれ、今でも一部の業界でその名残が伺えます。
もともと「中元」は、中国の上元・中元・下元という「3元」と、日本の盆の習慣が結びついて、今のようになったという説が有力ですが、現在は「八朔としての贈答」はありません。中元贈答の普及により無くなったわけです。
現在の贈答は宅配便が主ですが、あくまで感謝の気持ちとするなら、昔のように、窮屈な思いをしながら、直接持参し、挨拶をするのがお勧めです。
暑中見舞いも、年賀状も、お歳暮もお中元も形式的になってしまいましたが、本当に親交を深めるには、窮屈な思いをして手間暇をかけることが一番です。
真心を届けるとはそういうことです。