まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
日本は昔から大変子どもを大事にする国であったようです。
江戸末期に日本を訪れた欧米の使者は、日本人は貧しいながら子どもを背負ったり、子どもの手を引いたりして大切に扱っている姿に感銘を受けたといわれています。
5月5日は「こどもの日」。
「子ども」とせずに、あえてひらかなで「こども」としたのは、まだ幼い子でも読めるようにしたからで、ここにも子どもに対しての温かい配慮がうかがわれます。
こどもの日は「子どもの人格を重んじて、子どもの幸福を図るとともに母に感謝する日」として、戦後間もない1948年に制定されました。
そしてこの日は同時に「端午の節句」で、男の子の成長を願って五月人形や鯉のぼりなどを飾ります。
3月3日は上巳の節句であり「桃の節句」で女の子の節句といわれていますが、これに対して端午の節句であり「菖蒲の節句」は男の子の節句とされています。
そして子どもの日、端午の節句、菖蒲の節句といえば「鯉のぼり」ですが、様々な由来があります。
「鯉が滝を登って龍になる」という中国の故事に由来しているというのが一般的です。
つまり生命力が大変強い鯉は男子の立身出世の象徴とされたわけです。
もっともいまでは新入社員の男性で出世を望んでいる人は非常に少なく、楽しく働きたい、世間のお役に立ちたいと願う人が圧倒的に多いようですね。
いずれの価値観にも異を唱えるつもりはありませんが、できれば鯉のように、どんな困難にも果敢に挑戦できる逞しい人になっていただきたいものです。
一方あまり知られていませんが、こどもの日の鯉のぼりの鯉にはもう一つ別の由来があります。
菖蒲の節句の由来は、鎌倉時代の武家の風習が江戸時代になって庶民に広がった文化で、それが現在に至っていますが、さらに古い時代の由来が存在します。
《マナーうんちく話》で何度も触れましたが、春になって桜が咲くようになると、農業を営んでいる村人は、酒やご馳走を持参し山の神様の依り代になっている桜の木を囲んで、山の神様をおもてなしします。
そして山の神様を村に招いて「田の神様」になってもらうわけです。
田植えが始まる時期になると村の早乙女が田んぼに入り、田の神様を招いて神事を行い、田植えの無事と秋の豊作を祈願します。
その後田植えを行った早乙女は、田の神様のお嫁さんになって田の神様に仕えるわけですが、なにしろ田の神様のお嫁さんになるには大事で準備が大変です。
早乙女になる女性は家に立ち籠り、身を清めなくてはいけません。
だから菖蒲で屋根を葺(ふ)いた家で、慎み深い生活を送るわけです。
さらに「この家には早乙女になる女性がこもって身を清めていますよ」ということを村人に知らせるために、加えて田の神様の依り代になるために「柱」を立てました。
その柱に鯉がやってきてくっついたわけです。
端午の節句も、もとをただせば女の子の節句で、米作りと大変深いかかわりがあったわけですね。
稲作を中心にした農耕文化で栄え、米を主食にする日本のユニークな物語です。