マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
「小春日和」から「木枯らし」の天気に変わりましたが、11月15日近辺には神社にお参りする晴れ着姿の家族を多く見かけるようになります。
子どもの健やかな成長を感謝し、これからの無地を祈る「七五三」の行事ですが、物が豊かになった現代では祝い方も派手になってきた感があります。
物が豊かになったことと関連業者の企業努力のせいでしょう。
今では3歳と5歳と7歳の子どもがまとめて対象になるので、売り上げに大きく影響するから力も入ります。
しかしもとは3歳、5歳、7歳それぞれ個別の行事だったようです。
例えば3歳になった男の子と女の子は「髪置の儀」があり、この時から髪を伸ばし始めるわけです。
さらに5歳になると男の子は初めて袴を身に付けます。
「袴着」の儀式です。
そして女の子が7歳になると大人用の帯をするようになります。
それまでは着物についている付紐を使用するわけですが、7歳になると「帯解の儀」があり、いよいよ大人の仲間入りをするようになり帯をするわけですね。
当時は平均寿命が極端に低かったので女の子が七歳を迎えると一人前の女性として認められたのでしょうか・・・。
ではなぜ3歳、5歳、7歳を対象として、このような儀式があるのでしょうか。
実は陰陽道の影響を強く受けています。
陰陽道では、全てのものを「陰」と「陽」に分類しますが、3、5、7は奇数でおめでたい陽の数字になるので、おめでたい3歳と5歳と7歳に儀式を執り行うのはごく自然の成り行きと言えます。
ここで素朴な疑問が生じます。
なぜ9歳はないのでしょうか?
「五節句」は1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、そして9月9日の奇数月、奇数日ですが、中でも「重陽の節句」は奇数の中でも最上位の九が重なる9月9日ですから、最も格式が高い節句とされています。
だから最も格式が高い9歳の子が七五三に入っていないのは不思議といえば不思議なわけですが、実は当時は子どもは「7歳まではかみのうち」といった言い習わしが存在していました。
医療や食糧事情に大変恵まれた今の日本では想像もつかないかもしれませんが、当時は子どもの死亡率は非常に高く、せっかく生まれた子供でも一人前に育つかどうかは神様のみが知るわけで、7歳までが「神様の子」と考えられていたわけです。
そのような意味で、7歳までのおめでたい奇数の歳ごとに、子供の成長を祝う行事が執り行われていたわけです。
数え年で縁起の良い奇数の歳になると、神のもとからこちらにやってきて、一人前の人間に成長できるための儀式が執り行われるわけです。
ちなみに「祝う」の漢字の左のへんの「ネ」は「神様」の意味で、右のつくりの「口」は言葉を表し、下は「人」をあらわしているそうです。
だから「祝う」という漢字は「神様の言葉を伝える人」という意味にとれるかもしれません。
子どもが生まれて節目である3歳、5歳、7歳になったら、これから先も「どうか子供が健やかに育ってほしい」と思う親心がかんじられますが、神様からも激励の声がいただけるのでしょうね。
だからこそ真摯な気持ちでお祝いをしたいものです。
次回につづきます。