マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
季節外れの台風一過の後、穏やかで温かい日が続きました。
春の気候とよく似ているように感じますが「小春日和」といいます。
ちなみに「小春」とは旧暦10月の異称のことです。
そして11月7日は二十四節気の一つ「立冬」です。
「立」はスタートと捉えて頂いたらいいと思いますが、冬の始まりを意味します。
つまり「立春」「立夏」「立秋」と共に季節の大きな節目に当たるわけで、この日から立春の前日、つまり節分までが暦の上では「冬」ということになります。
暖かい火が急に恋しくなる時期で「炬燵」の準備をする頃でもあります。
今は物が豊かで便利になり、暖の取り方も多彩で、概ねスイッチ一つで暖房が利きますが江戸時代はそうは参りません。
暖房といえば薪や炭を燃やして暖をとるわけですから、みんな同じで「いろり」や「火鉢」や「炬燵」になります。
しかも炬燵を出す日、つまり「炬燵開きの日」まで統一されています。
どんなに暑くても、どんなに寒くてもその日が来れば「衣替え」をしたのと同じで、どんなに寒くなっても炬燵開きの日が来るまで炬燵は出しません。
衣替えや炬燵開きまで統一されており、ひとり一人が好き勝手に行動できないということです。
先人は協調精神が旺盛だったということでしょうか?
あるいは「右に倣え」スタイルが浸透していたということでしょうか?
しかし、武士と町人では炬燵を使用する時期が異なっていたようです。
旧暦十月の最初の「亥の日」が武士の炬燵開きで、二番目の亥の日が町民の炬燵開きになります。
旧暦は月日を十二支で表しますから、武士と町人では炬燵を使用できる日が十二日異なっていたわけです。
今では当然差別につながりますが、当時はそれが当たり前で不満はなかったようです。
では、なぜ亥の日が炬燵開きになるのか?といえば、陰陽五行説では亥の日は「水」にあたるので、火災予防になる日と考えられていたようですね。
「水」は「火」に打ち勝つ能力があるからでしょう。
そして今年は既に観測されましたが、晩秋から初冬にかけて吹く冷たい北よりの風は「木枯らし」といいます。
木の葉を散らし、木を枯らしてしまうから「木枯らし」と名付けられましたが、木々の葉が散ってしまえば、山は閑散として、まるで深い眠りに入ったようになります。
「山眠る頃」になるわけです。
風邪にご用心ください。