マナーうんちく話544≪薔薇で攻めるか、それとも恋文か?≫
「生きることは食べること」といわれるように、食べるという行為は生きていく上で必要不可欠です。
だから食べ物や他者に配慮する「美しい食べ方」は、身も心も美しい生き方に直結するわけですが、今の日本では大変軽んじられている気がしてなりません。
洋食のテーブルマナーは30年以上、和食のテーブルマナーは15年以上携わってきましたが、物が豊かになり、便利な時代になっているにもかかわらず、「食べ方がおろそかになっている」ということは皮肉な現象だと思います。
特にファーストフードや出来あい食が豊かになればなるほど、「手造りの味」が遠のき、食べることへの時間やエネルギーが減少傾向にある気がします。
それでいて、高級食材を求め「グルメ」に興じる風潮は止みません。
いずれも食を軽視しているとしか思えないのですが如何でしょうか・・・。
人類の途方もなく長い歴史はまさに「食べる」ことにありました。
つまり「飢え」との戦いです。
人が生きるために必要な炭水化物やタンパク質や脂質を、いかにバランス良く摂取するかに、先人のエネルギーが注がれていたのでしょう。
例えば西洋では「麦」が主流でこれに「肉やミルク」が加味されましたが、日本では「米」と「魚」でしょう。
さらに四季が明確に分かれている日本では、旬の山菜を採集する文化が存在します。特に平安貴族の春の若夏摘みは高尚な遊びです。
ただ、次第に人口が増え人口密度が高くなれば、狩猟や採取などでは全ての人の食を満たすことはできません。そこで農業や漁業や牧畜などが栄えて来るわけです。
これで有る程度食料が確保されますが、今度は生産する人と消費する人が別れ別れになります。
農業に携わっていれば野菜のことは良く解ります。
しかし都会暮らしの人は知らないことが多々あると思います。
そこで「食べる」ということに、さらにエネルギーを掛けることをお勧めします。例えば外食や出来合いモノばかりに依存するのではなく、自分で料理を作ることもお勧めです。
「生きることは食べること」である以上、食べ物を自分で作り、料理が出来るということはとても大切です。
つまり農業体験もお勧めです。
それが野菜を知ることの第一歩になり、食べることや食べ物をより大切にすること、ひいては生き方自体が変わってくると思います。
寒い日が続いていますが、昔は冬の寒い日に葉っぱがなくなってしまった柿の木のてっぺんに、赤く染まった柿が二つ三つ残っていることが有りました。
今は高齢社会に陥り、柿の実が熟れても採る人がいないのでそのまま残ってしまいますが、昔は、柿は日本人にとって大変貴重な季節の果物です。
それをどうして二つも三つもあえて残すのか・・・。
実は冬に食べ物に不自由するのは人間ばかりではありません。
動物も鳥も苦労します。
そこで人間は全部取らないで鳥達の為にあえて残したわけです。
日本人の「思いやり」や「お持て成し」の心は、世界の人が絶賛する文化ですが、物に不自由していた昔の人は、食べ物の大切さを実感していたので、人だけでなく自然や動物や鳥にまで思いやりの心を発揮したわけですね。
「木守柿」と言いますが、寒い冬に心を温めてくれる美しい言葉です。