マナーうんちく話535≪五風十雨≫
心地良さの中にも、寒さの訪れを実感させられ、冬の受け入れを余儀なくされる頃ですが、移ろい行く季節をしっとりと感じることが出来る頃でもあります。
鹿や兎のような動物やブドウやナシやリンゴなどをとることを「狩る」といいますが、美しい何かを見に行くことも「狩る」と表現します。
「紅葉狩り」はその典型的な例ではないでしょうか。
国土の70%以上を山で覆われている日本では、巡る季節の山の表情を、まるで山が生きているように表現しています。
秋になり木々が赤や黄色に色づいてくると、山全体が如何にもお化粧しているような感じになるので「山装う(やまよそおう)」といいます。
日本の紅葉は世界屈指の美しさだと言われていますが、美しく色づいた葉っぱを愛でる感性を持っているのは日本人だけではないでしょうか?
ちなみに、紅葉と言えば楓のことですが、小さな子どもの手のひらの形を思い浮かべますね。「いろは紅葉」です。
そして紅葉を形容する言葉と言えば「錦」です。
今ではあまりなじみがない言葉かもしれませんが「錦秋の候」という事項の挨拶が有ります。
木々の葉が色づいて来た丁度今頃が相応しいですね。
「きんしゅうのこう」と読み、木々の紅葉がまるで錦のように色鮮やかになった秋の季節という意味です。
華やかな着物に例えたわけですが、たしかに錦のようにきらびやかで上品な気がします。だから季節を感じる様々な楽しみごとの中でも、特に「紅葉狩り」は大きな楽しみになったのでしょう。
私たちは美しい紅葉を眺めながらご馳走を食べるのが大きな楽しみですが、先人は詩歌を詠んで楽しんでいたようです。
これはゲームに明け暮れている現代人には真似ができない娯楽です。
特にお金さえあれば誰にでもできることではなく、教養が伴わなければならない娯楽だから、本当の意味で贅沢な娯楽と言えるのではないでしょうか。
《奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき》
猿丸太夫(さるまるだゆう)の作で万葉集にも取り上げられている歌ですが、秋の静寂感がヒシヒシと伝わってくる歌です。
人里離れた奥深い山で、一面に敷き詰められた紅葉を踏み分けながら「恋しい」と鳴いている鹿の声を聞いている時こそ、秋の物悲しさが身にしみて来るという意味でしょうか、特権階級ならではの感覚だと思います。
紅葉の頃は寒さが次第に厳しくなるせいで、心にも微妙な変化が起きて来るのですね。
11月は霜が降りるから「霜月」と表現されますが、これから急に寒くなるそうです。
心も身体も元気でご活躍下さい。