まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
一夜ごとに素敵な名前をつけて楽しむほど、月は日本人にとって身近な存在で、愛でる文化の象徴でもあったようですが、残念ながら満月が必ずしも晴天とは限りません。
十五夜が雲の中に隠れて全く見えないことも多々ありますが、そのような月には「無月」と名前が付けられました。また雨が降った時には「雨月」と呼びました。
このところ曇った天気が続いていますので、今夜はどうなるか?
気になりますね。
いずれにせよ、十五夜のイベントは収穫への感謝を込めて行われます。
芒(すすき)をお供えしますが、これは芒がイネ科の一種で米に見立てているためです。加えて米で作った団子を十五お供えすることもあります。
また丁度芋が収穫される頃で、芋を供えるので中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれます。
ただし、この芋はサツマイモではなく「里芋」のようです。
里芋は稲作よりも古く、縄文時代より早くから存在していたと言われています。
当時は里芋が主食だったかもしれませんね。
そして仲秋の名月の頃に旬を迎える有名な花が有りますがご存知でしょうか?
我が家の庭先にも毎年この時期には紫の花を付けますが「紫苑(しおん)」です。
十五夜の時期に咲くので「十五夜草」とも呼ばれます。
ところで十五夜お月さんには「兎」が登場しますが、その訳をご存知でしょうか?
こんな言い伝えが存在します。
昔々の話ですが、天竺という所に兎と猿と狐がいました。
彼らは自分たちが人間ではなく動物であるのは、ひとえにご先祖様が全前世で悪い事をしたからだと思っていました。
だから何事においても前向きになれずネガティブになってしまうわけです。
これをあわれに思ったお釈迦さまが彼らを試してみることにしました。
お釈迦様はみすぼらしい老人に化けて彼らの前に現れ、彼らがどのような行動をとるのか試したわけです。
そうすると、猿は持ち前の木のぼりのスキルなどを駆使して果物などをたくさん採って老人に差し出します。
狐も鋭敏さを活かし獲物をとらえて老人に提供します。
しかし兎は獲物をとることができません。
そこで兎は、「私は何もできなかったので丸焼けになった私を食べて下さい」と言い残し、自ら火の中に飛び込みました。
まさに命を掛けた行動に出たわけです。
哀れに感じたお釈迦様は、兎の亡骸を抱いて月に登り兎を祀ったとか・・・。
以後、満月には兎が登場するようになったと言われています。
但し、満月に登場する動物は国により様々です。
自分の身を呈してまで老人に尽くした兎をどう思うかは人それぞれですが、「かぐや姫」や「兎」の物語りと言い、昔の人の発想は豊かですね。
満月を見ながら思いをはせて頂ければと思います。
そして不自由なく食べ物にあり付けることにも感謝したいものです。
また、お月見とは主に満月を眺めて楽しむことですが、「観月」ともいいます。
私たちは月を眺めながら兎の餅つきを連想しますが、平安貴族は観月の宴や船遊びに興じていたようです。
彼らの素晴らしいところは、月そのものを直接見るのではなく、水面に浮かぶ月を見ながら詩歌を詠んだ点だと思います。
地位や金や権力だけでなく「教養」が伴った点がまさにセレブですね。