マナーうんちく話502≪会話の中に季節の話題を積極的に!≫
9月下旬は何かと忙しいですね。
お彼岸が過ぎれば、今度は「仲秋の名月」。
晴れてくれればいいのですが・・・。
仲秋の名月に関しては「マナーうんちく話132《仲秋の名月とお月見ロマン》」で取り上げていますが、今回は別の角度から触れておきます。
月の満ち欠けを基準として作られた「旧暦」では、「満月」は最も解りやすい指標で、まさに生活の折り目になりました。
だから、一年の中でも満月の日には四季を通じて多彩なお祭りが多いわけです。
また、満月の事を「十五夜」と呼ぶのも、非常に単純明快です。
新月から15日経過すると満月になるから「十五夜」と名付けられました。
また、旧暦による季節の区分は、1月から3月までが「春」で、4月から6月は「夏」、7月から9月が「秋」、そして10月から12月が「冬」になります。
新暦とかなりずれがあるので、違和感を覚えるようなことが日常生活でもありますね。例えば、一年で最も寒い時期の年賀状の賀詞で、「新春」と言う言葉が使用されるのもこのためです。
雛祭りは「桃の節句」と呼ばれますが、新暦では桃の花はまだ咲きません。
さらに、最近取り上げた9月9日の「重陽の節句」を「菊の節句」と言いますが、新暦では9月頃に菊の花は咲きません。
ところで、旧暦の秋は7月、8月、9月ですから、8月は真ん中の秋、つまり仲秋になり、その時訪れる満月を「仲秋の満月」と呼ぶわけで、新暦では概ね今の時期になります。
そして、この時期は大変空気が澄み渡り、一年で一番お月様が美しく見える時なので、特にこの満月を観賞するイベントが生まれたようです。
但し、単に風流を味わいながら十五夜を鑑賞するだけではありません。
信仰の対象にもなっていたわけです。
米や芋などの収穫を感謝する意味合いを多分に有しています。
だから、お月様の形に似せて、米粉で作った丸い団子をお供えします。
芒(ススキ)をお供えするのは、芒はイネ科の食物だから稲(米)の代わりと言う説と、月の神様を招く依り代(神霊がよりつくもの)になると言う説があります。
さらに、芒は邪気を払う力があるとも考えられていたようです。
ブドウの収穫期でもあるのでブドウがお供えされる場合もありますが、ブドウは蔓ものですから、人と月がつるむ(繋がる)ので大変縁起がいいと考えられたからでしょう。
加えて、野菜では芋が収穫期を迎えるので芋をお供えします。
仲秋の名月を「芋名月」と言うのはこのためです。
今から約150年前までは日本は旧暦の生活です。
従って、この頃は月の満ち欠けで農事をとりおこなっていたわけですが、満月は非常に明るくて、欠けた部分が無い完璧の姿です。
だから豊作の象徴になったようですね。
当時はまさに「生きることは食べること」なので、豊作の意味は今のような「飽食の時代」には考えられない位、大切だったと容易に考えられます。
だから、それを祈願し、感謝する十五夜の意義は大きかったと思います。
それが、次第に物が豊かになると観賞することに重きが置かれ、詩歌や俳諧の材料に好んで取り上げられたのですね。そして、今では「お月見」と言えば「観月」とも言われ、主に満月を眺めて楽しむことになりました。
しかし、統計的には、曇りや雨の日が多いのですが、満月の夜に雲で覆われて月が見えなかったら「無月(むげつ)」と言い、雨が降れば「雨月(うげつ)」と名付けて、風流を楽しむようにしたわけです。