マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
例年より早い梅雨入りのせいか、しっとりとした雨の中アジサイの風情が漂い始めました。
春から夏へと移行するこの時期は、暮らしの中に様々な変化が見られます。
部屋の模様替えや衣替えしかりです。
「衣替え」は、「クールビズ」がすっかり根付いた今では、あまり耳にすることは無くなりましたが、住居と衣服の見直しの機会です。
季節を先取りするのが日本人の粋な過ごし方ですが、最近は販売戦略のせいか、非常に速くなったような気がしますが、如何でしょうか?
物が豊かになり過ぎた今では、それを維持するために常に大量生産、大量消費が余儀なくされます。
衣服のみならず、スリッパ、カーテン、座蒲団カバー、布団、団扇、風鈴、すだれ、蚊取り線香等など、四季が明確に分かれている国の夏の準備は何かと物が売れる時期ですね。
ところで「洗い張り」という言葉をご存知でしょうか?
少なくとも団塊世代以前の人にはお馴染みの言葉だと思いますが・・・。
昭和20年代から30年代にかけては、多くの女性の普段着もお洒落着もまだ和服が多かった頃で、主婦には、それに似合った大切な仕事がありました。
長くお世話になった着物を手入れするわけですが、汚れたり、痛んだりした着物は一旦ほどいて、水できれいに洗います。
それを竹のヒゴでピーンと張り、糊をつけて、シワを伸ばして乾かし、乾燥したら、再度仕立てるわけで、着物は水洗いすれば生き返り、ハリやツヤが蘇り、色も鮮やかさをとり返します。
今の日本は、物質的には大変豊かですが、昔はそうではありません。
特に着物などは高価なモノですから、とても大切に扱ってきました。
着物がより心地良く着られるように、より美しく見えるように、寒さから身を守れるように等など、色々な思いを込めて、丁寧に洗い張りを行うわけです。
この行為により、自然に着物への愛着が湧いてくるから不思議です。
何でも、自分が手間暇を込めたものには愛着が湧くわけですね。
だから余計に丁寧に扱う。
物が豊かでなかった当時は、着物だけではなく、靴下や手袋やマフラーなども大変丁寧に使用し、やがて痛んでしまえば、綺麗な部分だけをとって、小袋に仕立てたり、風呂敷に加工したりして再利用します。
だから、環境を破壊するようなこともなければ、感謝の気持ちが失せることもありません。
このように、僅か40年から半世紀前を振り返ってみると、現在の生活様式には考えさせられることが多々あるような気がしてなりません。
なにもかも、これだけ便利で豊かになったのだから、これ以上豊かさや便利さを追い求めるのを一時中断して、暫くの間は、置き忘れてきた「大切な物を探す期間」にすればいいのに、と思うこともあります。
国際競争に勝たなければいけないので、それが難しいことは理解できるのですが、物質的な豊かさや利便性の追求ばかりでは、幸せにはなれません。
ちなみに、昔の名門と呼ばれる家が、花嫁を選ぶ時の基準にした一つに「使い回しが出来ること」があります。
着物が古くなれば風呂敷に、風呂敷が古くなれば小物入れに、そして小物入れが使えなくなると、最後は雑巾として有効利用する。
名門の家には多種多様な仕事が沢山あります。使い回しが出来なくては務まらないと言うことです。
大変、的を射た考え方で、その根底には常に感謝の心が存在し、現代人が学ぶべき点が多々あるような気がします。