マナーうんちく話535≪五風十雨≫
冷たい風と共に、木々の葉が舞い散る頃になり、山にも、里にも、街のショーウインドウにも冬の気配を感じるようになりました。
11月7日は二十四節季の一つ「立冬」です。
「立」には「新しい季節の始まり」という意味がありますが、立春と異なり和歌には立冬を詠んだ歌はあまりないような気がします。
やはり冬になると言うことは歓迎されなかったのでしょうね。
ところで冬の語源は諸説ありますが、「冷ゆ(ひゆ)」が変化したと言う説が有力です。
また、日本は四季の美しい国ですが、南北に細長い国であり、複数の暦が存在していた国ですから、季節の捉え方も色々あります。
天文学的な捉え方では冬は「冬至」から「立春」の前日までですが、二十四節季では「立冬」から「立春」の前日までが冬になります。
また、日常生活ではまだ秋色が濃く、冬を実感できるのは12月から2月の終わり頃まででしょうか。
そしてこの頃になると北寄りの比較的強い風に見舞われることが多々あります。
「木枯らし」です。
木を吹き枯らす位、強くて冷たい風だから木枯らしと言います。
そして、紅葉前線が気になる頃でもあります。
ちなみに、春の桜前線は北上しますが、紅葉前線は南下します。
加えて、高い山から低地へと、一日に約50m位移動すると言われております。
紅葉前線は楽しみですが、それと共に落ち葉が舞い散る頃でもありますので、なんとなく感傷的になることもあります。
ひと歳重ねればなおさらですね。
しかし自然の営みはマナーと同じで、実に合理的で無駄がありません。
「落ち葉」「枯れ葉」「濡れ落ち葉」といえば大変マイナスのイメージでとらえがちですが、枯れ葉や落ち葉にもそれなりの役目があります。
黄色、赤色、茶色に色づいた落ち葉は、昆虫や微生物の餌になり、やがて腐葉土になり、森の木に吸収され、栄養となり再び木に帰っていくわけですね。
山山の木々は、全く肥料をやらないのに、年々大きく育っていくのは、このためなのです。
そして何年も何十年の何百年も、それを繰り返しながら、自然から与えられた命を精一杯生きているわけです。
それは大変神聖な行為であり、大木に神様が宿る所以でもあるのではないでしょうか?
森を作り、水を蓄え、酸素をしっかり放出する命の源だから、自然と共生してきた日本人は、神が宿る木として崇拝の対象にしたわけですね。
さらに、落ち葉は畑にとってもとてもありがたい存在です。
落ち葉が陰になり雑草が生えるのを防ぎ、落ち葉があるおかげで畑が乾燥せずに適当な湿気を保ってくれます。
まだあります。
落ち葉が養分になり、多くの微生物が集まり、堆肥効果が期待できます。
童謡にも歌い継がれている初冬の風物詩、「落ち葉炊き」はあまり見られなくなりましたが、役目を終えてヒラヒラ落ちる落ち葉たちに「御苦労さま」と声を掛けると共に、これから始まる長い冬を元気で、前向きに過ごしていきたいものですね。