まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
丁度今頃の季節でしょうか、初夏に、新緑の間を吹きぬける爽やかな風を「薫風」と表現します。青葉の香りの風を薫風と呼んだのはさすがですね。
また、薄緑色から次第に青々とした緑に変わるこの時期は、推移する自然の様が最も感じられる頃ですね。
改めて、四季の美しい国に生まれ育った事に感謝したいところですが、先人は、四季の移り変わりを愛で、四季それぞれの美しさを歌に詠んでいます。
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて すずしかりけり (道元)
春は桜が咲いて、夏はホトトギスが鳴き、秋は月が美しく、冬は雪が冷たく冴えて、自然に四季が巡る。
曹洞宗の開祖である道元は、すぐれた歌人でもあり、自然と人間のありのままの姿を見事に歌い上げています。
ちなみに、ここで歌われている夏は、旧暦の4月から6月の3ヶ月間ですが、夏はホトトギスと詠まれていることから、当時の人々にとって、ホトトギスの鳴き声は魅力的だったのでしょうかね。
では、ホトトギスを鳴かせるにはどうしたら良いのでしょうか?
色々な方法があります。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と詠んだのは織田信長です。
一方、「鳴かぬなら鳴かしてしまえホトトギス」と豊臣秀吉は詠んでいます。
そして、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」詠んだのは徳川家康です。
名だたる3人の武将の性格の違いを端的に表現した言葉として、現在に至るまで語り継がれているのはご承知の通りです。
時と場合にもよりますが、皆様はどのタイプでしょうか?
ちなみに、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」は、信長の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と、秀吉の「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス」を受けた句で、信長の冷酷さや秀吉の強引なやり方に対して、我慢や辛抱することの大切さを表現しています。
約250年もの長きに渡り、平和な政権の基盤を作った家康の句には、重みが感じられますね。今でも実業家の多くが、家康のこの句の教えを見習っているのがわかる気がします。
ホトトギスを鳴かせる、つまり、ある目的を達成するには、それなりの我慢や忍耐力が必要です。
然し、ただ耐えるだけではありません。
出来る事を実行する知恵も大切です。
加えて、時として我慢にも限界があります。
どこまで我慢し、どこで攻撃に移るか?
それを正確に識別する能力も必要です。
つまり、大切な物を得るには時間や知恵や努力、さらに毅然とした行動に移るタイミングを把握するが必要と言うことです。
しかし、とりあえずは我慢です。
我慢するということは、自分自身の感情を上手にコントロールすることで、人格形成において、とても大切なことです。
以後の人生に大きく影響します。