マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
昔と比べて今は、お母さんの「在り方」、すなわち考え方や生活様式が大きく変化している気がします。
私の幼い頃は、物質的に大変貧しいのみならず、便利な機械もなかったので、家計や家庭を預かるお母さんの苦労は、今とは比較にならないほど大変だったと思います。
掃除、洗濯、食事、裁縫等などと、一日中殆ど働き詰めの毎日です。
朝は誰よりも早く起きて、蒔で米を焚き、みそ汁を作り、夜は家族の衣類を繕う、それが当たり前だったわけです。
当時の子供は、皆、そんな親の背中を見て育ったわけですので、それなりの苦労や我慢に対する免疫ができていたわけですね。
今は、有り難いことに、世界屈指の、豊かさと便利さを謳歌する時代になり、お母さん達もかなり楽になりました。加えて、自由な時間もできたようです。
しかし、手放しで喜んではおられません。
それゆえ、多くの矛盾が発生しました。
特に「食べる」ことが由々しき状態に陥っています。
幼い頃は、食べ物に不自由していたので、好き嫌いなんて言えません。また、食べられることに感謝の気持ちも強いものがありました。
それこそ、食べるために一生懸命働いていた時代です。
それから半世紀近く立って、「飽食の国」と言われるくらい、食べ物が豊富になると、感謝の気持ちも薄れ、好き嫌いは当たり前、より贅沢な物を追求するようになりました。また食べ方にも大きな変化が出てきました。
その結果生じたのが、「コケコッコ(鶏)症候群」と言われる状況です。
一人で食べる「孤食」、朝食の「欠食」、家族がそれぞれ違う物を食べる「個食」、同じ物しか食べない「固食」と言う意味です。
さらに、麺類やパン類ばかり食べる「粉食」、味が濃い食べ物を食べる「濃食」等の弊害は目に余るものがあります。
それに輪を掛けたように、加工食品等の氾濫で、お母さんの手作りの食事が極端に減りました。
花見や運動会などにも、コンビニ弁当とペットボトルのお茶と言うスタイルが珍しくなくなりました。
挙句の果てには、ご先祖様の里帰りに、ご先祖様と共に食す「お節料理」までが、「出来合い」に頼る傾向が強くなったようです。
このコラムで何度も、「食べることは生きること」だと申しましたが、同時に「食べる」と言う漢字は、「人」を「良くする」と書きます。
現代人の食べ方は、人を悪くする食べ方のように思えてなりません。
これでは、いじめ問題も解決しませんし、家族の絆も薄れます。
家族や大切な人に喜んでもらえる、手作りの料理のレパートリーを広げて下さい。出来れば、暖かい料理がお勧めです。
そして、皆でワケアイアイと、食事をできる工夫をお勧めします。
たまには、食卓に花を活けたり、キャンドルを用意したりするのも良いですよ。また、「箸置き」等は、テーブルコーディネートの必需品です。
加えて、食事中は、楽しい話題の会話に終始徹底して下さい。
間違っても愚痴はこぼさないでください。ご馳走に一番マッチするのは笑顔です。「美味しい」「ありがとう」等の言葉は、連発されるのがお勧めです。
只今、「馬肥ゆる秋」ですが、馬に負けないように、食事の大切さを認識し、賢く、楽しく、食事ができる人は究極のマナー美人です。
良く食べ、良く笑い、心も肥やして下さいね。