一兵卒として・・・

井上博文

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テーマ:実は知らない面接対策・集団討論対策

一兵卒として・・・話題の親方が述べられたそうですが、私はこの言い方を肯定しません。かつて、「豪腕政治家」も同じことを言っていましたが、これを言う人は、多くの場合尊大な人です。例えば、私ごときが、「一兵卒として」なんて言おうものなら、鼻で笑われるでしょう。相撲の親方が、教育者であるかどうかは、よく知りませんが、弟子を育成するという意味においては、そのような面もあろうかと思います。少なくとも、大学院や編入受験において、面接や、志望理由書でこんなことを書くともちろん不快に思われるでしょう。このような場において余計な言葉はたくさんあります。大学の先生はたいていの場合、合理主義者です。だから、例えば、「背水の陣で」と言えば、「なんでわざわざ、不利にするの?」と聞かれたことがありますし、「暗中模索」と言えば、「明るくしてから探せば?」と言われますし、「蛍雪の功」なんて言えば、「蛍つかまえるくらいなら昼間勉強しなさいよ」と言われます。「ハングリー精神」と言えば「お腹いっぱいになったらどうするの?」と言われます。身も蓋もありませんが、私はこういう見解に強く同意する側です。「一兵卒」とは「一人の兵隊」という意味でしょうが、「下積みから・・」くらいのニュアンスがこもっているのでしょうか。私には正確な使い方はわかりませんし、正確な使い方があるとして、どの場面で使うのかもよく知りません。学校の先生で、この言葉の正しい使い方を教えている人はいるのでしょうか。尊大な人以外に使うポジションがあるのでしょうか。
また簡単そうに「兵卒」と言いますが、兵卒をかなり軽くみている発言だと思います。よく戦国漫画で、将軍が矛や刀を一振りすれば、一気にたくさんの首が飛んだりするシーンが描かれます。実際にそんなことはあり得ませんが、とても軽い命として描かれるのが兵卒です。そのあたりを理解すれば、自分も含めて、一兵卒など安直には言いにくいものだと私は思ってしまいます。自分が「一兵卒」になるなどと、意味不明なことを言って酔っ払うのではなく、漫画で言うならば、一振りで飛ばされた首の一つひとつに命と人生があることに目を向けることに意味があります。兵卒なんていうカテゴリーで人を見るのではなく、個々人の人生に寄り添うことが教育の仕事です。人を育成するのに、いずれの目線が必要かは言うまでもないと思います。


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