何で「世間」にあやまるのですか?

井上博文

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テーマ:大学院に行くメリット

とある大学生から受けた質問です。巷の「謝罪会見」を見て、疑問に思ったそうです。その疑問は全く正しいと思います。世間に対して謝罪をしないといけないという、明確なルールは存在しません。しかし、だからといって、一切謝らなくてもいいのかというとそうでもありません。基本的に世間に対して謝罪することが求められるのは、公共性の高い仕事をしている人、すなわち、その人の発言によって、不特定多数の人が影響を受ける人です。政治家は典型でしょう。その政治家が誤った発言をして、世間をミスリードすることにつながってしまった場合、その誤りについて謝罪する必要があるでしょう。
公務員も誤りがあった場合は、世間に謝る必要があるでしょう。税金で動く以上は、税金に関する不備や不正などがあった場合は、謝罪の上、場合によっては刑事罰を受けることもあります。大学は私立大学であっても公共性は高いので、やはり学者や学生の不祥事があると大学が世間に謝ります。これも特に違和感はありません。私が理解不能なのは、芸能人(特に芸能に対する知識はない)という人々が世間に謝罪することです。おそらくその謝罪を聞いて、違和感を感じる人は多いと思います。誰が誰のために、なぜ謝るのかがわからないからです。もしかすると、謝罪でも何でもテレビの露出があると、それはそれで売れている証ともとれなくもないですので、その意味での尺度になるのかもしれません。
いずれにしても謝るときは、誠意を持って、本気でポイントをずらさず誤るのがコツです。本来謝ることも、「挨拶」や「お礼」と並んで、ソーシャルスキルの一つです。それによって、他者に何かしらの影響を持ちます。本来、使い方がたくさんあるのです。いずれにせよ、形骸化することと、芸能人の心ない謝罪は、非常によくないことです。こういった不誠実な謝罪が当たり前のように公共の電波に流れると、一般人が相手の一般人に対して、「謝って!」「謝ったら許す」「とりあえず謝っておけばいい」こういったことが常態化するのは極めて不誠実です。謝ることが一種のパフォーマンスになり、自他の溜飲を下げる儀式になると、非常に危ういものになります。今のテレビメディアがやる謝罪会見は、このようなニュアンスになっており、昔のプロレス然としており、聴衆の溜飲が下がったかどうかで評価がなされます。これが個人に適合させられると、「この人には、自分が悪いかどうかはわからないけど、めんどくさいし、とりあえず謝っとけ」がひろがって、何がどこがどう悪いかを決めず、その分次への反省ができなくなると悪循環になります。
謝罪もよくよく考えてからなされるべき行為ということです。



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株式会社コムニタス

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