面倒見のいい大学と大学生の学力

井上博文

井上博文

テーマ:大学院に行くメリット

大学生の学力低下が指摘されて久しいですが、大学全入の時代に入り、さらに少子化が進むことから、まず大学受験予備校に強烈な向かい風が吹いています。代々木ゼミナールの京都校も小田急グループのホテルになるそうです。もちろん、最終受け入れ先の大学にも一部を除いて定員割れがおこり、飽和状態になっています。

しかし、大学進学率は高まっているかというと、実はそうでもなく、2009年に50パーセントを超えてからは横ばい状態です。そうなると、あまり有名でない大学は、受験者と入学者を確保していかないといけないわけですので、名目上の推薦入試やAO入試を安直に増やして、高校生の青田買いをしようとします。それによっていわゆる受験勉強をしなくなるので、結果的に大学生の学力が下がったというメカニズムです。
このメカニズムを見るに、明らかなのは、悪いのは高校生ではないということです。悪いのは大人です。正確には、高校の進路指導、大学の入試関係者が勉強をする必要のない構造を作ったからです。経営的観点から見るならば、無理からぬことですので、逐一否定するつもりはありませんが、大学生の学力低下を学生の責任と断ずるのは否定します。あたかも学生が勉強しなくなったからとだけ主張するのは、私には論理のすり替えにしか見えません。

大学入試に関して、旧制度はもう崩壊しています。新しい制度をうまく作った大学が生き残ることができます。名前だけでは残れません。有名大学でも経営危機の大学はいくらでもあります。少し前にあった家電量販店の大量建設は、ライバル店をつぶすためのチキンレースでした。そのレースに勝ったところが、今、勝ち組かというと、決して違います。大学も、生き残りをかけて、水ぶくれを選択したところは危険です。そのうちブランドが低下したとき、その水が決壊すると大変なことがおこるでしょう。要は中味です。大学がどんな学生を作るかを明確にして、どんな教育をするのかということを打ち出して、学生がどんな変化をし、どのように伸びて、どんな社会で活躍するのかというロードマップを示すことがまず必要なことです。就職させるのか、大学院進学をさせるのか、それによって、教育の中味は異なるはずですが、そこも明確にする必要があります。英語以外の新しい語学を身につけさせるならば、どうやって、何のために身につけさせるのかということも示す必要があります。大学で一定の成績をあげた人には、何らかの特典があってもいいと思います。大学自体に就職ができる企業を作るのも重要な策です。地方創世とうたう政治家はたくさんいるようですが、地方の大学が人気が出れば、まだまだ大学の可能性は十分にあります。700を超えると多すぎるという声もありますが、私は必ずしもそうは思いません。誠実に教育を行うならば、どんな大学でも生きていくための特色を出せると思います。これからの時代、一番勉強すべき場所は高校ではなく、大学です。大学生になってから、驚くほど勉強をする環境を作ることがこれからの大学の仕事です。

日本は(どこの国でもでしょうが)ランキングが好きです。面倒見がいい大学ランキングが今年も出されています。
こちら
1位は11年連続金沢工業大学です。いくつかの尺度から、ポイントの高かった大学をランクインさせているので、ある程度見るべき点はあると思います。しかし、案外、この金沢工業大学を見習おうという声は聞きません。別に、偏差値上位校がこの大学を見習っても、何も問題はないかと思うのですが、あまりそうはなっていないようです。面倒見という言葉はあまり好きではありませんので、私は基本的に使いませんが、面倒見の良い大学は(事実であれば)良い大学と言えると思います。学力が低いなら、あるいは低いとわかっていて採ったのなら、大学が責任を持って能力を高めていけばいいのです。いわゆる大学改革は、かれこれ20年くらい行われてきており、例えば半期で単位を出すセメスター制や、学生による教員の評価など古き悪しき時代の側面はかなり改革されてきているのだと思います。しかし、規模が大きくなりすぎることによって、肝心の学生を「お客様」以外で見る目線がなくなり、教員も学生に関心を持つきっかけが少なくなっています。大学において古き良き時代があったのかどうかは、もはや誰もわかりません。大学ほど、「最新」に振り回される組織もなかなかないからです。だから、大学が「古き良き」にこだわる必要もなく、常に新しいあり方を考えていく方が適切です。今求められていることとして、私の印象では、大学生は少なからず勉強したい人がいると考えています。私が大学で見ているある留学生は、「自分のやりたいことを大学でやれない」「大学に訴えたら、「留学生」はこれこれのカリキュラムしかとれません、と言われた」「英語が勉強したいと言えば、このコースは日本語しかとれません」と、言います。一言で言えば、融通が利かないのです。大組織になればなるほど、融通が利かなくなると言いますが、そうではなくて、「融通を利かせるのがめんどくさくなる」のです。私はそういった人間は、大きな組織を作るべきではないし、大きな組織に入るべきでもないと考えます。私は京都コムニタスでは、この「融通」を大切にしています。融通は仏教では、「異なったものが溶け合って障りがないこと」くらいの意味です。いつも言っているのですが、私は個別対応を重視しています。大学院進学ともなると、目指す学校も、目的も、志も、学力も、経験してきた人生も、不安の度合いも・・などなど、全て異なります。これを塾の都合の良いシステムもどきを作って、そこに学生を適応させることほど愚かしいことはないと考えています。しかし、個別対応にこだわると、「不公平」が生じます。これをいかに「溶け込ませる」かが腕の見せ所です。大学もこの融通を大切にできる人間を集めて、それを基準に大好きな「改革」をすれば、良い方向に向くと考えています。ただし、教員や事務方の労力は多大になりますので、ブラック企業と言われることは覚悟しないといけませんが。教員、学生、事務方、これらをうまく溶け合わせることが経営トップの腕の見せ所ですが、おそらく最も劣化しているのはここなのでしょう。


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井上博文
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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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