学生のうちにやっておくべきこと
私は必修の授業だけに限らず、至るところで疑問を作ることの大切さを言います。そして、疑問を作る時は、必ず疑問詞をつけるように言います。疑問詞をつけることで、具体的になりますし、ポイントを定めることもできます。ここまでは、基本中の基本です。研究をしようと思うと、そこから先の「洗練された疑問」が必要になります。洗練された疑問とは、情報をしっかり得た上での疑問でなければなりません。このあたりが子どもの「なんでなんで」と違うところです。もちろん、子どものうちの「なんでなんで」は重要ですが、大人としての疑問を出せるようになるには一定の訓練が必要です。大人としての疑問とは、成果を意識した疑問です。簡単に言えば、どうでもいい疑問を出さないことであり、どうでもいい疑問と、どうでもよくない疑問との区別がつく必要があります。REBTの論駁(D)の際にもよく言いますが、「それは現実的か」「それが自分にどんな実利があるか」という観点は重要です。どうでもいいことで悩む人は、思考の中に必ずと言っていいほど、「言ってもどうしようもないこと」が入っています。極端な言い方をすると「雨が降ったらどうしよう」と考える人などはその典型と言えます。傘をさすか、合羽を着るか、出るのをやめるか、ぬれることをあきらめるか、選択肢はそれほど多くありません。方針を決めることが重要なのに、それをせずに、「どうしよう」に取りつかれると、「あんなに頑張ったのに、雨が降ったから台無し」なんてことを言いだしかねません。このような思考は、何の成果も生みません。ただ、地球に腹をたてたり、悲しんだりしているだけです。時にはそういったことも必要かもしれませんし、それを聞いてあげる人は優しい人かもしれませんが、本人には、何も利益はありません。「こんなに頑張っているのに・・・」という思考も同様です。頑張っているかどうかは、主観であって、客観基準はありませんし、頑張ったから成果があがるとは限りません。
大人としての洗練された疑問を出すときは、主観基準や思い込み基準を一端やめて、客観的、データに基づく、実利が想定されることなどを基準に、疑問文を作る必要があるのです。
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