成長につながる自己変革
いつのことか記憶が定かではありませんが、ある研究者が学会で、「私は○○さんの論文に説得されました」という言葉を聞き、非常に良い言い回しだという印象を持ちました。以来、私も使ってみたいとは思うのですが、あまり使う機会がありません。それだけ説得されていないということかもしれません。私の立場だと、説得されるということはあってはならないことだというイラショナルビリーフが、私の中にあるのかもしれません。そんなこんなで、これを言うにはかなりの力量が必要だということに、最近になって気づきました。よく考えてみると、受け身の「説得される」だけではなく、誰かを「説得する」こともあまりないのではないでしょうか?
通常、説得力を要するのは、ビジネスマン、営業マンといった人たちでしょう。様々なテクニックがありませすが、例えば、アンケート調査のあとに、何かを売りつけるのも、この説得力を利用した方法です。このあたりのテクニックは面接でも応用することはできます。例えば、「ノー」と言えない回答をする。あるいは、「ツッコミ所を与えない」。こんなテクニックは是非、使いたいところです。特に志望理由は、要は相手が「そりゃうちの大学以外に行く要素がないわな」と思ってくれれば、それでOKです。逆に「それならうちの大学でなくても・・」とか「本当にうちの大学に入りたいのか?」などと思われてしまうと、不合格まっしぐらになってしまいます。
しかし、「説得する」は、新聞記事などを見ると、結構たくさん出ていることに気付きます。特に政治家は演説でもって、大衆を説得することが多いようです。しかし、これは合理的な説得力というよりは、選択をさせる説得力で、「あっちよりマシ」という印象を与えることに力を注ぎます。だから、他者を叩くことに力を注ぎます。次のアメリカ大統領共和党の候補になりそうなトランプ氏という人は、ここに属します。この人は「仮想的有能感」の塊のような人に見えます。私もこのような人と対峙してきましたが、この異様なまでの攻撃性は、見る人を辟易させます。ただ、荒唐無稽なことを言うと、話が大きくなりますので、知らない人が見ると、ビジョンが大きく見えてしまうこともあるかもしれません。ただ、こういった人は、他者を叩くことで、自分に有利な展開を作ろうとしますので、論理的整合性に欠ける面が多く、本当に候補になってしまったら、前言撤回が増えてくるでしょう。そこで説得力を維持できるかどうかが重要ポイントになります。
以上から、「説得される」ということは、ビジネスマンやトランプ氏には、ほど遠いように見える言葉です。しかし、研究や論文の世界には、この説得されるという言葉が存在しており、説得された側と説得した側は良好な関係を結ぶことができます。
できるならば、意識的に説得されるだけの力量を身につけたいものです。
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