REBTについて

井上博文

井上博文

テーマ:REBT 論理療法

すでにホームページ等でもお知らせしていますが、2月27日に京都コムニタス2016年講演会を開催します。講師の菅沼憲治先生は、日本のREBTの牽引者であり、私もそうですが、今REBTを志している人の多くは、菅沼先生に影響を受けた人になると思います。私自身は、かつてベーシックコースを受けた時に、菅沼先生のデモンストレーションを見て、衝撃を受けました。人間の感情はこれほどまでに人工的なもので、そのメカニズムを知って、うまく使えば、多くの人に利益をもたらすことができると確信を持ちました。私は、京都コムニタスで役立てられればそれでいいと考えていますが、大げさに言えば、日本経済とて、何とかミクスよりも、個々人の不安を低減した方がはるかに経済効果は高いだろうと考えています。景気という気をよくしたいなら、不安を少なくすることが先です。いくら一万円札を異次元に刷っても(刷れると見せかけても)、「どうせ一部の人間のところにしかいかない」という空気と、だから私には関係がないという雰囲気との中では、何も効果を見せません。せっかく公認心理師という国家資格を創設するのだから、国民の不安を少なくする戦略(洗脳にならないように)を立てた方が、経済効果は大きいと思います。しかし、この国のエラい方々は、どうもその当たりに理解がないようです。哲学や宗教への理解がないからかもしれません。

REBTは、現在、日本人生哲学感情心理学会で学ぶことができます。少々大げさな名前ですが、この「人生哲学」の部分について、異論を唱える人はいないと思います。そのくらい、創始者のエリスは、人生哲学を重視したのです。私は、必修の授業の中にこのREBTを様々な局面で導入しています。また必修とは別枠で、合格者用のクラスで心理療法の一つとして講義しています。大半がデモンストレーションになりますが。近年は、私もインストラクターになったこともあり、関西圏でそれを伝えていく方向性を打ち出しています。私は特に受験生や学生に有益だと考えています。海外ではスポーツ選手が最高パフォーマンスをするためによく用いられていますが、受験や就職活動、それに伴う自分づくりに多いに役立つと考えられます。最近では国内でも、アサーショントレーニングや、コーチングに応用されています。また大学の教育の中でこれを使うと効果が上がることも研究成果として出つつあります。当塾を出た人が、今年の修論でREBTの応用であるREE(Rational Emotive Education)の実験をして、それをまとめた人もいます。私が被験者に概説とデモンストレーションをしに、大学まで赴きました。
私自身は、塾や受験分野でよりシステマティックな応用方法の確立を目指しています。私が塾でREBT を使う意味としては、カウンセリングの一つの技法を学ぶというよりも、セルフヘルプを身につけるという意味合いの方が強いです。生徒にとって受験をすることは大変なストレスであり、REBT で言うところの「不健康でネガティブな感情」が極めて発生しやすい状態になります。このような感情は、例えば「不安」や「怒り」などですが、私たちに大きな不利益をもたらします。不安になろうが、怒ってみようが、それで良い結果が出ることなどまずありません。あったとしても偶然でしかないでしょう。そこで、このような
不健康な感情を自分で処理をして、形を変えてしまうと、少なくともその時点でのネガティブな状況に変化をつけることが可能です。どう変化をさせるかは、各人の考え方で決まります。この考え方をREBT では人生哲学と言っています。適切な考え方であればあるほど、より妥当な感情処理ができるのです。不安や怒りなどの不健康ネガティブな感情は、人間であれば必ずと言ってよいほど持っています。かく言う私もけっこう持っています。ですから、持つこと自体を避けることは不可能ですし、否定することもありません。発生した時にどう処理するかが重要なのです。この処理をせすに放置したり、人のせいにしたりすると、例えば、感情の自己制御ができず、嘘をついて他人を誹謗中傷してしまうと、訴えられて、負け、多額の賠償金を請求されることになりかねないのです。つまり結局自分の不利益として帰ってきます。REBT では不健康でネガティブな感情は、自分自身に原因があり、その原因は事実に反する思い込みであり、そこに因果関係のメカニズムを見出だしています。ですから、処理をする場合、まずは原因の方から着手します。つまり事実に反する思い込み(イラショナルビリーフ)を、事実に即した考えに変えるわけです。そうすると、結果である感情も変わるという理屈です。予防医学に似ています。問題は、どう変わるかですが、ここは人によって意見が異なることもあると思いますが、私は基本的に「嫌だけど、つらいけど、まあそれだけと言えばそうだし、それで死ぬことはないし、まあしょうがないか」が下地で、あとは状況を見て言葉を変えていけばよいと考えています。なぜなら、この娑婆世界で生きている限り、嫌なことを避けることは不可能ですし、無理して「嫌、嫌」と叫んだり、それでもどうにかして避けようとする人は、そのしわ寄せを他人に押し付けることを厭わない人です。俗に言う「文句たれ」とか「なんで私が!」発言をすぐにする人はとても危険です。それよりも無理なことを無理にしようとせずに、かつ必要以上に引き受けようともせずに、必要な分だけ嫌なことが自分巡ってくることは、特別なことではないし、それくらいならどうにでもなると考える方が、誰も傷つかないし、平和です。また、何か問題があると、すぐに「自分が悪いとすれば平和」と考え、アクロバティックに罪悪感を持ちたがる人もいますが、これも間違っています。

私は不安という感情は、人間にとって多くの災いをもたらすと考えています。不安が経済をおかしくして、お金が偏り、まわってこない人々に不満がたまり、エネルギーが爆発した歴史は世界中にあります。今日も北朝鮮がミサイルを撃ったという報が大きく出ましたが、これも何らかのイラショナルビリーフの類とみて良いと思います。明らかな自滅的行動です。ミサイルを撃ったというニュースを聞いて、「よくやった」と喜ぶ人は、ごく限られた人だけでしょう。北朝鮮を攻撃してうま味があると考える国が仮にでてしまうと、戦争になることもあり得ます。正義のために戦争をする人などまずいないでしょうから、今のところ確率は低いと思いますが。戦争反対と叫ぶ人は根本的問題として、不安を煽ることをやめ、そして不安に陥った人々の不安を解消することを考えることをすべきです。すべてを他人や政府のせいにして、なんでもかんでも他者せいにすると不安は増えることはあっても減ることはありません。不安は自己の中の問題なのです。エリスは「責任ある楽観主義」という言葉をよく使います。これは重要な視点であり、できるならみんながそう考えた方が、漠然と「平和」を叫ぶよりも、平和になると思います。自分の感情に責任を持つという発想は、とても大事なものなのですが、ほとんど人がそうは考えないと思います。感情知能、EQというものがありますが、これを高める教育に目を向ける必要があると私は考えています。地道に進んで行こうと考えています。



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井上博文
専門家

井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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