他人(の目)を気にしないようにできない人
「心配をするな、工夫をせよ」
その昔、師匠から言われた言葉です。大学生4回生か、院生になりたての頃かだったので、かなり前のことです。おそらく、(今となっては当時の記憶にあまりないということにしておいてください)私は不安性が強く、将来のことについて悩んでいたのだと思います(若かったのです)。塾を始めてから、幾度となくこの言葉を生徒に言いたい場面はありましたが、どことなく言いにくくて、今まであまり言ってきませんでした。しかし、何気ない言い方(当時さらっと言われました)ですが、この言葉は蓋し名言で、私の中に深く刻まれています。
「心配をする前に、工夫をせよ」と言っているわけではありません。「心配をするな、そして工夫をせよ」と言っています。前者だと、「工夫をせよ」の部分が重要になります。後者はどちらも同じくらい重要になります。心配をしないことができて、その上で工夫をすることがポイントです。今となってみると、「心配である。工夫はできない」「工夫することに意味を感じない、だから心配」「工夫しても無駄。でも心配」「工夫はしている。でも心配」などなど。こんなわずかな言葉だけで、いろいろと自分をわざわざ追い込むような言い方があるもんだと、違った意味で感心してしまいます。
「心配しないこと」「そして工夫すること」いずれもスキルが必要だと思います。苦しいなら、苦しみをそのままの姿で受け止めて、放っておいても、諸行無常ですので、最も苦しいと感じた場合、その瞬間から違うものに変化しています。だから心配してもしょうがないと思うことができれば、一歩前進。しかし、工夫をするということは、人工物ですので、自然に任せるだけではなく、苦しい、しんどいと感じた場合、それをどうするのかを人工的に考えます。苦しさを人工的に低減するのか、あるいはあえて放っておくのか、あるいは我慢するのか、あるいは、苦しくても、そこはそのままで、断じて他人に見せないようにだけするのか、どれが正しいかは状況によりますが、選択肢を出して、リスクマネジメントをした上で選択し、さらにそこには結果がついてくるわけですが、その結果の受け止め方も工夫しておきます。
自然と人工の融合が「心配するな、工夫をせよ」なのだと思います。
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