一夜賢者の教え
諸行無常とは仏教用語で、平家物語の冒頭にも出てくる
日本人の耳になじんだ用語でもあります。
あらゆるものは、さまざまな原因の寄せ集めであるので
今目にしている、感じているものは、一瞬とて同じものはなく
見ている、感じているそばから、別のものになっているという
理を説いたものです。私たちは、煩悩をたくさん持っていますから
幸せであれば、今の瞬間が永遠にあってほしいと思いますし、
不幸であれば、すぐに終わって欲しいと思います。
おじいちゃんとおばあちゃんが、孫と手をつないで歩いていると
「幸せだなぁ」
でも返す刀で、
「でもこうしていられるのも、あとどれくらいかなぁ」
と考えます。これなどは諸行無常の典型です。
しかし、諸行無常は、ネガティブなことにも当然適用されます。
不幸なこと、耐えられないことがあっても、そのそばから違うものに
変容していっているのです。そう考えると、絶対の不幸なんてのも
まず存在しないのだということを、理解することができます。
昨日、お通夜に岐阜まで行ってきましたが、大勢の方が来ており、
故人のお人柄がよくあらわれていました。
本当に、すばらしい先生でした。いつも自由に旅をして、
世界中に知り合いがいるのでないかというくらい、色々な国の人が
その先生を訪ねて来ていました。一方で、本当の意味での
仏教者でもありましたので、こだわらず、飄々とした背中を
今も思い出します。
10年前は、やたらと結婚式に呼ばれ、「そんな年代になったか」
と思ったものですが、最近は葬儀に出ることも増え、また
「そんな年になったか」と思いました。これは年齢を重ねたから
こそのことだと思いますが、不幸なことがあっても、耐えられる
身心が少しずつできてくる年齢というものがあるのかなとも思いました。
これからは自分の身にももっと諸行無常を感じることが増えるのだという
ことをあらためて実感した次第です。それを逐一不幸と感じすぎず、
諸行無常という深い見方ができるだけで、かなり救われると思います。
とりとめもなく、諸行無常をいろいろなところで感じる時間をいただきました。
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