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井上博文

大学院・大学編入受験のプロ

井上博文(いのうえひろふみ) / 塾講師

株式会社コムニタス

コラム

罪悪感の怪

2014年7月10日

テーマ:REBT 論理療法

コラムカテゴリ:出産・子育て・教育

REBTでは、罪悪感は、基本的には不健康でネガティブな感情です。
自然な気持ちで「ごめんなさい」と思える程度なら問題ないでしょうが、
状況的にも全く悪いはずがないのに、
「世間を騒がせて申し訳ございません」
と「謝罪」を強要することが当然になりすぎると、感じなくても良い
罪悪感を感じさせるようになってしまいます。これは別に日本だけの
ことではないようです。
典型的事例はワールドカップで、負けると、「国民の皆様に謝る」ということが
起こります。そんなことで謝っていたら、優勝できるのは1チームだけなのですから
謝罪だらけになってしまいます。実際、日本チームも多くの選手が謝罪しましたし、
隣の韓国の選手や監督も謝罪しました。サッカー王国ブラジルでさえも同様です。
謝罪が飛び交うスポーツの祭典というのも何か違和感を感じます。

あるいは、先日、アイドルグループが暴漢に襲われて、大けがをした事件が
ありましたが、「世間」とやらに「謝罪」させられたのは、被害者の人でした。
そんな理不尽なことはありません。暴漢が謝罪するのは当然のことですが、
(したのかどうかは知りませんが)
何で大けがをさせられた側が、世間にテレビメディアを通じて謝らないといけないのでしょうか。
謝らせるメディアというのは、どういった心持ちで謝罪させているのでしょうか?
謝罪を報道することは、彼らにとって快感なのでしょうか。奇怪です。

実際のところ、この謝罪というのは、誰が強要しているのでしょうか?
私はケガをさせられたアイドルの方々に迷惑をかけられたとは思いませんが、
どのくらいの人々が、迷惑をかけられたと思っているのでしょうか?
有名人であったり、社会的地位の高い人ほど、謝罪を強要させらる確率は
高そうなのですが、同じことをしても、人によって謝罪させられたり、
あるいは、全く何もなかったり・・・奇怪です。

本来、謝罪というのは、「罪」を犯したことに対して謝る気持ちを持って、
その行為に至ることに意味があります。
仏教にも懺悔(さんげと読みます)があって、これは戒律違反をすると、
それに対して、自分で反省をし、それを誰か同僚か目上の人に聞いてもらい、
反省の意を示す行為です。それによって心が清らかになり、基本的に許されることが前提です。
だから、本来、謝罪-許すというラインは一本線です。

ところが、「とりあえず問題になっているから謝っておくか」くらいの気持ちで、
実は悪いと思っていなくても、形式だけ謝っておけば良いという考え方が
一般化しすぎると、謝罪も許す行為も形骸化し、効力を失い、
ただただ罪悪感だけが植え付けられているという状況に見えます。
どこをどう修正すれば良いかは、私にはわかりませんが・・奇怪です。


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