怒り任せの愚かな行動
ちょっとした研修会に参加しました。
ポジティブ心理学を基礎として、学生の幸福度を高め、
学生の強みを活かせるように指導する。
そうすると学生がやりたいことに気づき始める。
学生間にコミュニケーションを取らせるとうまくいく。
こんな内容でした。学生の幸福度を高めること、強みを引き出すこと
このあたりはおそらく正しいと思います。
ただ、何が幸福かと言われると、これには客観指標が必要なのではないかと思います。
私のこの2年くらいのマイブームに「幸福学」があります。
私は何かを思考するときには、たいてい仏教かREBTを基礎にしています。
いつか、うまく統合できていけばいいなと思っています。
この二つの共通点はたくさんあるので、すべてをここで言い切れませんが、
一つ気になっていたのが「今世での幸福の追求」です。言い方を変えると、
「今世でいかに快適に生きるかの追求」です。
仏教は2500年前のインドに発生しましたが、当時のインドは(今もかもしれませんが)
輪廻世界がこの世でした。前世と今世、来世が人々の現実として常にありました。
だから人々は来世に期待することが多かったのです。今世はと言うと、
あまり希望のたくさんある世界ではなく、ある種絶望的な世界で、ここで
良いポイントをたくさん獲得することに力をたくさん注いで、
そして来世良いところに生まれたいということが希望だったと言えます。
それに敢然と立ち向かったのが仏教です。ブッダは今世において
より良く生きることを説きました。前世も来世も今世あってのことと考えました。
今をいかに生き抜くか。このテーマはREBTの基本理念でもあります。
生き抜いた先に何を見いだすかと言えば、やはり幸福ではないかと思います。
数年前、ブータンの国王が来日しましたが、そのとき話題になったのが、
ブータンは国民の幸福度が非常に高い国だということでした。
一方でこの日本は国民幸福度が低い国だということも併せて言われました。
決して物質的に恵まれることではないということです。
また科学が進歩した結果、私たちは幸福になったかというと、
そうでもないということです。だからといって不幸になったわけでもありません。
詰まるところ、見方、とらえ方、考え方、それ次第ということになります。
仏教の物の見方へのこだわりは並大抵ではありません。
REBTは、誤った思考(イラショナルビリーフ)を適切な思考(ラショナルビリーフ)
に書き換えます。これによって、健康な感情を生み出そうとします。
健康であれば幸福であるというのは、十分納得できる仮説です。
では幸福とは何か?という問いに行き着くのですが、近年、「幸福学」という
学問分野が確立されていますが、これは統計的に幸福を導こうというものです。
これが示すところによれば、例えば幸福を感じられる要素に当然
「お金」はあるのですが、お金がなければ幸福ではありません。
これは当然です。でもありすぎても幸福ではないのです。
前野隆司氏の『幸せのメカニズム』(講談社現代新書)によれば
年収にしてだいたい1000万円くらいが基準で、それ以上お金があっても
幸福とは感じなくなるそうです。
それからすると、やはり、小欲知足とはよく言ったもので、
「ほどほど」「そこそこ」「程度もの」「それなり」「適当」
いろんな言い方がありますが、うまくこういった言葉を使いこなせることは
大切なことと言えます。
やはり、これからは教養や知性を磨き、考え方をしっかり作った人が
幸福を感じることができると言えると思います。その意味で、
健康でネガティブな感情は非常に深いもので、幸福を感じるために
もっとも近い感情と言えます。
私たち教師は、上っ面のポジティブを教えるのではなく、
生徒がそれぞれの幸福を感じられるまで、思考を磨く術を教えることが
仕事であり、任務であると考えます。
例えば、サクセスフルインテリジェンスなども一つですし、
感情インテリジェンスなども必要です。
これからの時代、こういったインテリジェンスを教える人が
必要になってくると考えています。
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