日本仏教心理学会に行きました
STAP細胞問題がどんどん大きくなってきました。これからもっと大きくなりそうです。
個人的な感想ですが、小保方晴子氏のあの記者会見はいかがなものかと思いました。
STAP細胞の証明をすることを目的に出てきたのではなく、テレビ等のメディアを駆使して、
「悪意のある捏造ではない」
という主張を土台にして
「ゆえにSTAP細胞は事実である」
と力ずくで理屈を乗せ、
「根拠は出せない」
という理論の屋台骨と見受けました。理研の先の発表で悪意のある捏造と言われたことに
対する防御と言えばそうなるかもしれません。しかしこういった理論展開をしてしまうと
彼女の本来やるべき仕事、はSTAP細胞の存在の有無を争い、何とかしてそれが存在する
ことを証明するという作業のはずでしたが、会見内容をみる限り、その仕事を
放棄していることになります。彼女が主張した重要ポイント、つまり論点は
そこではなく、彼女が悪意を持っていたか否かということになります。
これは、裁判を意識した発言です。おそらく裁判になったら記者会見での発言も
証拠として提出するでしょうし、そういった論点の裁判をするという意思表明なのでしょう。
(そりゃ裁判では間違いなく「悪意はなかった」と主張するでしょう)
これをやってしまうと、少なくとも同業の科学者からは賛同は得られないでしょうし、
余計に批判にさらされるだけでしょうし、さらに今回の発言から読み取れる事実を
「科学的」に検証されることになり、それが小保方氏を有利に導くとは思えません。
ただ、裁判では、理研側は小保方氏の「悪意」を証明しなければならなくなりました。
これは難儀な証明です。よほどのことがない限り無理です。ただでさえ証拠を
残していない人のようですから。しかし理研側はそれに失敗すると、複数の裁判で
敗訴する可能性があります。その意味では小保方氏に有利に導くための会見だった
ということになります。彼女にとってあのリスク満載の会見は、一手で理研を
裁判的には窮地に落とし込んだとみることもできます。自分も科学者として窮地に
立つ代わりに理研も窮地に立つという、なんとも不毛な争いに展開してしまいました。
科学者がこんな何も生み出さないことをするのは、いかがなものかと考えています。
私は、とりわけこの時期の必修の授業で、
「一度この世界に入ったら、科学を手放さないでください」
ということを毎回のように言います。このコラムにもこの点についてはよく言っています。
「資料に物語らせる2010年11月18日」
「資料に物語らせる」
同じ題目で二つ書いていますが、今、ここで言う科学とは、資料が物語る事実を
証拠とし、その証拠に基づいて論を立てることです。事実がすべてなのです。
おそらくこれはどんな学問でも同じです。医学、生物学などの理系分野であろうと
仏教学、歴史学、文学、哲学など文系分野、心理学、経済学など、両方を併せ持つ分野と
たくさんの学問分野がありますが、これは学問の共通認識と言えると思います。
この姿勢を崩すと、「超能力」「宇宙人」「陰謀」といった科学もどきになります。
これに染まってしまった人は、「悪魔の証明」といわれる「ないことを証明せよ」
という主張を展開し始めます。これを言いだした人はもはや科学者ではないと
私は考えています。私の言い方では科学を手放した人です。
STAP細胞は世界中の一流の科学者の目にさらされているものですので、
悪魔の証明にもつれ込むことはないと思いますが、もしこれに持ち込もうと
しているならば、あまりにも残念です。STAP細胞が、宇宙人やツチノコと同じ理屈だったと
するならば、あまりにも残念です。
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