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死刑制度のあり方について ~答えのない問題に対してどう向き合っていけば良いのか~

2018年8月28日

テーマ:時事・世事世相・所感・雑感

コラムカテゴリ:メンタル・カウンセリング

地下鉄サリン事件など、オウム真理教による一連の事件で
元教祖らの死刑が執行され
改めて死刑制度についての議論が活発になっています。

死刑制度については賛否両論あるものの
実際にはどうすることが望ましいのかは難しい問題です。

死刑を制度としてではなく個別のケースでみていくと
例えば親族が何者かによって意図的に殺害された場合、通常はその遺族はやはり犯人の死刑を望むでしょう。

しかしこれが戦争などで罪に問われ(いわゆる戦犯として)死刑宣告を受けた場合
もしこの死刑制度さえなければ
例えばナチスのユダヤ人虐殺のようないわれのない罪で死刑になる(殺害される)こともないわけです。

つまり死刑制度さえなければナチスはユダヤ人を虐殺することはできなかった。

もし何か罪を犯したとしても、そもそも死刑制度がなければ罪によって殺されることはありませんし
罪を問うことはできても、不当な犯罪者扱いをされてその場で射殺されるようなこともありません。
(そんなことはできないし許されない。実行した者が罪に問われる。
そして他のどんな件でも同様に、少なくとも罪を犯したという理由で人を殺す名目や口実はなくなる)

しかしこの理屈から言いますと、例え射殺(人を殺害)したとしてもその罪によって死刑になることはありませんし
言うなればやったもの勝ち(殺したもの勝ち)の無法状態ということになってしまいます。

戦争のような大きなくくりではなく、最初のような個人的な殺人事件だとしたら
やはり犯人の死刑を望むのはご遺族の心情でしょうし
だけどもやったもの勝ちの無法状態ということになれば
どうせ死刑にならないんだったら自分の手で殺してやると、殺害の連鎖が止むところがありません。

もちろん犯人を殺しても自分も死刑になりませんからね。

だとしたら死刑制度とは一体何なのか?(機能面や遺族の心情も含めて)
そして死刑より重い刑罰は自由が奪われるという意味で終身刑ということになるのか?
本当に難しい問題です。

この問題は何が良い、廃止したほうが良いかどうかという問題ではなく
もしかすると死刑という刑罰は存続させておきながら、個別のケースでみていかなければいけないのかもしれません。
そして死刑といっても実際には刑の執行は行わず
事実上終身刑のような形で執行猶予も許されず、現在のような形で発展させていくしかないのかもしれませんね。

そして受刑者が生きている間に事件に至った真相や動機など語れるように
じっくりと時間をかけて向き合っていくしかないのかもしれません。

そうすることで(真相を知ることで)死刑を望むご遺族の心情が少しでも救われるならなおさらではないでしょうか。

いずれにしてもこれがベストだという答えや結論のない問題だと思いますが
死刑制度のあり方やその意味するところについて
これからも丁寧に慎重に向き合っていかなければならない大きな問題だと思います。

この記事を書いたプロ

宮本章太郎

心理カウンセリングのプロ

宮本章太郎(京都カウンセリングラウンジ)

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