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日米、成功哲学の違いは・・―「夢」と「志」について考える―

海江田博士

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テーマ:ビジネスモデルについて考える

今日の目次
・「夢」と「志」の違い
・「夢」に期限をつける
・アメリカ型の成功哲学で幸せになった日本人はいない
・成功者こそが人生の勝ち組
・今はそこそこハッピー
・「天命追求型」 の方が性に合っている

「夢」と「志」の違い

先日、ネットでちょっと興味深いエッセーを見かけました。書評がその内容になっているためにで、引用すると少しややこしく見えるかも知れませんが、まあ読んでみてください。
その中で「夢」と「志」の違いを、次のように説明しているくだりがありました。
― 「夢」は、自分が叶えたいもの。言ってみれば「for me」の思いが「夢」なのだと思います。でも「志」は、自分が叶えなくても他の誰かが叶えてくれたらそれでいいと思えるような、我を超えた、我を手放した、もう一段高いレベルの思い。言ってみれば「for you」の思いが「志」なのではないかと思うのです。そして私は、「志」を持った時に、私たち日本人のDNAがオンになるのではないかと感じています。【白駒妃登美著『幸せの 神様に愛される生き方』[1, p30]】―
今、私たちは「夢」という言葉をよく使うけれど、なるほどこういう見方もあるのか、となんだか納得させられました。このフレーズについてさらに解説が続きます。

「夢」に期限をつける

「夢」を実現する方法論として、アメリカ流の「成功哲学」があります。上記の著者もかつては成功哲学の信奉者だったようです。
― 私は、今でこそ日本が大好きで、その歴史や文化を語ることが何よりの喜びですが、実は若い頃は、日本が嫌いでした。欧米に憧れていて、生き方でも、例えば『マーフィーの法則』やナポレオン・ヒル、カーネギーといった、アメリカ型の成功哲学にどっぷりつかっていて、常に目標を持ち、それを追いかけてきました。アメリカ型の成功哲学は、まず夢を持つことから始まります。その夢に期限をつけて目標とし、その目標を達成するために計画を作るのです。[1,p27]―
このフレーズを読みながら思い出したことがあります。
ちょっと前に、このブログでも書いたことがあるのですが、ワタミの渡辺社長の講演を聞いたとき、彼は「夢に日付を」と言っていました。彼にはそのタイトルの著書もあります。
渡辺社長の講演は、CDを通じて聞いたこともあるし、生の講演を聞いたこともありました。非常に真面目な印象の人だったので「経営者はこうでなくちゃならないんだろうなあ。」とも思っていたのです。

アメリカ型の成功哲学で幸せになった日本人はいない

しかし、明らかに彼とは違うタイプの私としては、彼のその主張にはなんだか馴染めなかったことも事実です。それで、そのことをブログに書いたこともありました。そんな私の視点とはちょっと違うのですが、このエッセーもなんだかそっちの方向で話が進んでいきます。
その点を次のように述べられています。
― 10年後の目標のために、5年後、3年後、1年後の目標を逆算し、そのために今月、今週、今日やるべき事を考えていく。「今」は「未来」のための1ステップなのである。
しかし、白駒さんは日本の歴史、日本人の生き方を改めて振り返ったとき、アメリカ型の成功哲学を実践して幸せになった日本人はいないのではないか、と言うことに気がついたという。そして「今、ここに」全力投球した時に道が開ける。それを積み重ねる事で、天命によって運ばれていくというのが、日本人の生き方なのではないか、と言う。
アメリカ型の成功哲学が「目標達成型」の生き方だとしたら、日本人が歴史に刻んできたのは、「天命追求型」 の生き方と言えるのではないか、と白駒さんは考える。―
なるほど、この言葉には何となく納得がいきます。日本とアメリカのビジネス観の違いを、こんな風に明確に分析している論説には初めて出会いました。

成功者こそが人生の勝ち組?!?

これまでワタミの渡辺社長の人格や講演で述べておられることは素晴らしいなあ、と思いつつ、なんだか俺には馴染まないなあ、と迷っていた一つの要因がここにもあったのかも知れない、と思いました。もちろん私が、日本型の天命を追求するといった高い志を持っている、なんて言えないわけですが、少なくともアメリカ型の成功哲学追求タイプでないことはわかっていました。
ただ、この中で「日本の歴史、日本人の生き方を改めて振り返ったとき、アメリカ型の成功哲学を実践して幸せになった日本人はいないのではないか」と言い切っておられるのには少し驚かされます。つまり、この成功哲学で成功した人はいるかも知れないけれど、幸せにはなれていないのではないか、というのは鋭く厳しい指摘だな、と思いました。
欧米人のように「成功者(主として経済的な)こそが人生の勝ち組だ」といった哲学を単純に受け入れられないのが、私たち日本人の本質なのではないでしょうか。だいたいこの「成功者」などというのは、昔はあまり使われなかった言葉です。
この言葉が、頻繁に登場するようになったのは、欧米流の成功哲学が流入されてからのことではないかと思います。もっと具体的に言えば、典型的なアメリカ型のビジネスであるネットワークビジネスの交流現場などでよく使われているような気がします。

今はそこそこハッピー

「目標達成型」の典型的な手法の一つに「PDCA」があります。これは目標を達成するための方法論として、日本でも広く普及しているようです。
私の事務所でも割と早くから研究してお客さんにも勧めています。しかし、実は自分の事務所では、これをしっかりと実践しているわけではありません。
ただ、未来に向かっての方向性だけは、常に考えスタッフにも伝え、行動に移してきました。その過程で特にきっちりとした目標管理といったことは実践していませんが、破綻することもなく今に至っています。
というか、経済的な条件としては極めて劣悪(過疎化高齢化の急激な進行)ともいえるこの田舎で、ある程度業績を伸ばしてきました。もちろん、目標管理を実践していたならば、もっとすごいこと(成長発展)になったかも、という推論が成り立たないでもありません。
ただ、そうしていたとしたら、おそらく上記言われているように、『俺はあまり幸せではなかったかも知れないな。』とも思うのです。ということは、現在はそこそこハッピーということでもあります。

「天命追求型」 の方が性に合っている

さらに、私にはここで言われている「志」もないわけではありません。
会計事務所というのは何代も続くことは少ない、と言われています。国家資格が必要であり、かつ小規模な個人事業として多忙すぎる仕事ぶりが、直系血縁の後継者にそれほど魅力的に映っていないことも一つの要因であろうと思います。
しかし今、2代目である私が経営する事務所も法人化して、別に血縁でなくても承継しやすい形になりました。現在の事業体が、時代のビジネスに合わせて対応できていければ、地元である程度の雇用を維持しながら地域経済のサポート役として存在感を発揮できるのではないでしょうか。
「天命」というのは大げさすぎる気もしますが、今の事業体(会計事務所及びその関連事業)が長く続いていったならば、多少なりとも世のため人のために貢献できるのではないか、と思っているのです。どうも私自身は、アメリカ型の成功哲学である「目標達成型」の生き方よりも、日本人が歴史に刻んできた「天命追求型」 の生き方の方が性に合っているような気がしています。
さて、今日はこんなことを書いてしまいました。これからは、この言葉に恥じないように、少しは真面目になって天命を追求しなければ、と思います。



人事を尽くして天命(夜明け)を待つ

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海江田博士
専門家

海江田博士(税理士)

税理士法人アリエス

税務相談はもちろんのこと、従来の税理士としての職務に留まらず経営者自身で革新できることを目指した支援を続けています。日本経済をしっかりと支えられる強い基盤を持った中小企業への第一歩のお手伝いをします。

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